夜の学校はえてして不気味な雰囲気を持っているものである。
普段時間の殆どを過ごしている学校の、にぎやかで明るいというイメージの崩壊が不安をかき立てるのだろうか。

(ユーノ君……どこにいるの?)
(三階の教室を見終わったところだよ)
(そ、そっか)

特に成果もないまま念話を終わる。最初から特に意味もなく持ちかけた念話だったため、それも当然といえば当然か。
心の中にたちこめる暗雲が晴れないか期待していたが、全く無効果だった。

「うぅ……なんで私がこんな目に」

自分の身体を抱きしめながら、恐る恐る暗い廊下を進む。
その顔は今にも泣き出しそうだ。男らしく男らしくと心の中で呪文を唱えて、なんとか踏みとどまっている状況である。
過去、裏路地で小指がない男達に囲まれた時は一歩も引かなかったなのはであったが、相手がオカルト関係になると話は別だった。
ユーノ達が使っているような魔法は良い。きちんと論理立てて説明できるものに恐怖する必要などはないからだ。
しかし”超常現象”の類となると話は別。自分の思惑を越えたところでなにかとんでもないことが起こっているのではないかと想像してしまったが最後、恐怖心が沸き起こり、どうしようもない悪循環へとつながる。



ただの窓ガラスが刃物の切っ先、自分の足音が自分を追いかけ、先が見えない廊下は地獄の入り口。
人間が人間足るゆえん、想像力という名の思考プログラムを、なのはは今この瞬間ほど恨むことはないだろう。

まぁ、なんだかんだ言って結局はこの一言で終わる。
つまり、なのはは恐がりなのだ。極度の。


ガタンッ!


「ひっ!!?」

瞬間的になのはの身体をバリアジャケットが包む。
相変わらず気に入らないスカートひらひらのバリアジャケットだったが、今のなのはにそんなことを気にしているほど心理的余裕は無かった。
緊張ゲージはいっぱいいっぱい、今にもあふれ出しそうな勢いなのだ。マックスハートなのだ。
戦闘形態へと移行したレイジングハートを、メジャーリーガーもかくやの速度で音のした方向に突きつける。
さぁこい幽霊さん。だけど私は先日魔法少年としてデビューした身、そちらの身の安全は保証しませんぞー!!

で、見るともうもう煙が舞っていた。

「……チョークの粉?」

そこで足元に何かが絡まっていることに気付く。筋肉なんか飾りです偉い人にはそれが分からんのですとでも言いたげな、力強さ皆無の細い足が白い電源コードを踏んづけていた。
その電源コードを視線で辿ると、煙の中で床に転がっている白い箱状の何か。
黒板消し掃除機だった。掃除機のように黒板消しのチョークを吸い取る箱形のアレだ。

「落としちゃったのか。……ビックリした」

拾い上げて元の位置に戻す。
幸い中身の粉はさほど入っていないようだったから、そのままにしておくことにした。時間が有れば掃除をしても良かったが、今はとにかく目的を果たして家に帰りたい。

そう。三つ目のジュエルシードを封印して、早く家に


「なのは」


なんで。名前を。呼ばれるんでしょう?


「っきゃあああああああああああああああ!!!」
「なのはどうしあqwせdrftgyふじこlp;@:」

振り向きざまのスイングによって、なのはの背後に立った人影はくの字に折れ曲がりつつ壁に激突した。
しかしなのはの攻撃はまだ止まらない。
父親と兄、姉と行った剣術の修行が、無意識の内になのはの身体を動かす。

「きゃあ! きゃあ!! きゃあ!!! きゃああああああああああ!!!」

右上段、左下段、ひじ鉄、空中一回転回し蹴り。
格闘ゲームのように美しいコンビネーションが炸裂した。
普段ならセーブしている力もそれなりに全開だ。怖さで目を閉じているにせよ、それで狙いが甘くなったにせよ、攻撃力は小学三年生のモノとしては破格と言っていい。
何しろ外れた一発の拳が壁に辺り、ひびが入ったくらいだ。

「な、のは、おちつ……ゲハッ!?」
「ごめんなさいごめんなさいもう授業で寝たりしません宿題忘れませんお小遣い貰ったその日に全部PCパーツにつぎ込みませんスパムメール送られた仕返しにウイルスのテストしたりしません家に帰ったら飼ってるフェレット生け贄に支えますから助けてぇええええ!!!」
「なのは、僕、僕だよユーノ! ユーノ・スクライ……バッ!!」

ユーノ・スクライバ。そんな人知らない。
即決して第二弾の攻撃に移ろうとしたなのはは、そういえば似たような名前を聞いたことが会ったなと少しだけ冷静になった。
程なくして該当者の顔が頭に浮かぶ。

「……え? ユ、ユーノ君?」

恐怖の余り閉じていた目を開けると、同い年くらいの少年が全身ズタボロになって壁により掛かっているという、なんともシュールな絵面が目に飛び込んできた。

その容姿を頭の中にあるユーノ・スクライバならぬスクライアと比較する。
鼻血が出てたり首が斜め四十五度に折れ曲がったりしていたが、確かに紛れもなくユーノ・スクライアの顔だった。

あれ? ユーノ君ってフェレットじゃなかったっけ。

沸いて出てきた疑問に素直に従って記憶をさかのぼると、答えはすぐに出た。そうだ。もう魔力も体力も回復したって言って、変身解いたんだっけ。
なのははここに来て、やっとそのことを思い出した。

時既に遅しな雰囲気がバリバリだったが。

「……グフッ」
「ユ、ユーノ君!!?」



――――――――――――――――――――――――――――――
魔法少年ロジカルなのは。第二話。
――――――――――――――――――――――――――――――



「ジュエルシードシリアル20 封印」
『Sealing』

青い宝石がレイジングハートの水晶体に吸い込まれていく。

暴走体も見つけてしまえば後は特に問題もなく封印することが出来た。
今回は実体も持っていなかったし、三度目ともなれば慣れたものか。もっともなのはの魔術師としての才能も大きな要因になっているのだろうが。
それは何度も何度も何度も言っているように、なのはにとってはこれっっっっっっぽっちも嬉しくなかった。いかに嬉しくないかは「っ」の数を数えてもらえればわかりやすい。

実に6つだ。なんと6つだ。6「っ」なのだ。これは相当邪魔と言うことである。
ちなみに快適にネットサーフィンをしているときに間違ってPDFファイルを開いてしまったときが3「っ」、母親に女の子用の服を十着プレゼントされたときが5「っ」だから、これは相当だ。

だがいくら、いらない、いらない、と力一杯叫んだところで、今更どうにかなる物でもない。
無意味な抵抗を重ねてエネルギーを消耗するほど、なのはもバカではなかった。
魔法でぎゃおーぼかーんの世界から抜け出す方法が見つかるまでは、これ以上の悪化がないよう現状維持に努めるしかないのだ。

「戦わなきゃ。現実と」

なのははバリアジャケットを解除して、肩に乗ったユーノに念話を開いた。

(ほらユーノ君、封印できたよ?)
(ありが……とう……)

フェレットもどきに戻ったユーノは息も絶え絶えな様子だった。
当たり前だ。ユーノの自己診断によればあばら骨三本骨折、右肩脱臼、打撲は数えることも嫌になるほどの数だという。
せっかく魔力、身体ともに回復して変身する必要がなくなったと思った矢先、振り出しに戻った格好だ。
否、物理的な怪我の酷さではむしろマイナスか。

(痛い……)
(だろうね。じゃ、帰ろっか)
(激しく待ってよ!!)

校門へ向かおうとしたなのはをユーノが引き留める。

(なに?)
(帰ろっか、なんてなにナチュラルにスルーしてるの!! 僕に向かってなんか言うことがあるだろう!?)
(……死んで)
(なのはが言うと冗談に聞こえないんだよ!!!)

別に冗談じゃないのにと呟き。
幸い?ユーノには聞こえていないようだ。

(そうじゃなくて!! 怪我をさせてごめんとかそういう心温まる謝罪の台詞は無いわけ!!?)
(私の辞書にごめんという文字はない)
(ナポレオンか君は!!)
(こっちの世界の啓蒙時代ヨーロッパのフランス軍人なんてよく知ってるね)
(そんなつっこみはいらない! 素直に謝れないのか君は!!?)

その時なのはは、びき、と、自分の頭のどこかが切れる音を聞いた。

(あのね。そもそも嫌がる私を無理矢理この学校に連れてきたのは誰? 散歩に行きたいとか言い出したと思ったらいきなり結界に閉じこめて)
(すいませんでした)

うなだれたユーノから視線を外し、なのはは校門への歩みを再開する。
なんだかんだ言ってこれで三つ目。
二度有ることは三度あるとよく言うが、出来れば四度目はないようにとジュエルシードに願いたい。

「なんで私なんだろ」

アリサちゃんやすずかちゃんだったら、自分から進んで行動する。アリサちゃんは見かけに寄らず強いし、すずかちゃんなんか本気で戦っても負けるかも知れないくらいだし。
大体私、女の子じゃない。人選、どう考えても間違ってる。
なのはは逐次補充される不満を心の中の愚痴で発散した。
だが問題の根本的な解決にはなりそうもない。焼け石に水とは正にこのことだ。

「……はぁ」

前途は多難、というよりも絶望的。

唯一の救いは今の時刻が午後七時だと言うことか。
この前の二の舞だけは、なんとか回避できる。

「そういえば、明日だっけ」

――アリサちゃんと映画を見に行く約束の日曜日。午前はお父さんが監督をやってるサッカーチームの試合を見に行くことになったんだよね。

頭の中で明日の予定を反芻する。唯一の救いが二つの救いになった。
魔法なんてことに巻き込まれてから始めて、少しだけ気持ちよく眠れそうだった。




――――――――――――――――――――――――――――――



「がんばってー!」
「ほら、そこよ、いけー!!」

アリサとすずかの声がサッカー場を満たす歓声に一花を添える。
ささやかな応援をBGMにして、少年達は一心不乱にサッカーの試合を行っていた。

「ほら、なのはもなんか言いなさいよ」
「あ、うん」

アリサに促されるようにしてなのはは立ち上がる。
グラウンドを介して向こう側には男子の一団があった。
良いプレーが決まったとき、男子は「うぉー!!」女子は「きゃー!!」。
男子も声変わりをしていないからオクターブは変わりないにしても、女子とは盛り上がり方にどうにも差がある。
それはいい。
なんで私が、「きゃー!!」の側にいるのかな。自然な疑問がなのはの頭を占めていた。
左を見れば女の子。右を見ても女の子。後ろから聞こえてくる声も女の子。
高町なのはは、縦、横、奥、どの座標から判断しても女子の領域の住人になっていた。
遠慮がちに、隣で試合に夢中になっているアリサに話しかける。

「あの、アリサちゃん」
「なに?」

よし。第一接触成功……!
なのはは交渉を第二段階に移行する。
しかし問題はここからだった。

「私、あっち側行きたいんだけど」
「なんで?」

ほらきた。
アリサちゃん、その怖い顔やめてよ〜。
泣き落としに訴えたいところを必至に我慢して、二の句を継ぐ。

「だ、だってこっち女の子ばっかりだし」
「別にいいじゃない」
「でも、だって……」
「行けー、ほら、そこ!!!」

第二段階、あっけなく頓挫。
再び第一段階からリトライしてみるが、アリサはすっかり試合に熱中して、全然話を聞いてなかった。
かといって勝手に向こうに行くこともできない。
あっちに行きたいと提案するときは全然反応してくれないアリサは、実際になのはがどこかへ行こうとすると過剰といえるほど敏感に反応するのだ。
そしてその制止を無視すれば、不機嫌な顔で実力行使に出られることはなのはの記憶に痛みと共に刻まれている。
今と似たような状況でなのはが男子側に移れた例しがないのだ。

そういった日々の積み重ねが、なのはをどんどん男子の概念から遠ざけているのは十分自覚していた。
無理矢理アリサから離れることも出来る。ボディーガードとして第一線の活躍をしていた父直伝の体術を駆使すれば、全力を出さずともアリサも振り切ることは容易だろう。

そろそろけじめを付ける頃合いなんではないだろうか。
なのはは深く息を吸い込み、

「ふぅ」

小さくため息を吐いて立ち上がると、

「みんなー、がんばれー!」

その場から動かずに応援を開始した。

いや、アリサちゃんを怖がったわけじゃないんですよ。向こうに行くことなんてやろうとすればいつでも出来るし。うん。男女差別はいけないよね。ジェンダーフリーでいこうよ。
そんな駄目ニートのような思考回路で妥協する。
こういうときこそ男らしく行動するべきだ、なんて声は聞こえない。聞こえ無いったら聞こえない。

しかしごまかしの応援は、本人の思惑とは裏腹に予想外の効果を生みだした。

両チームの動きが一瞬止まる。
選手の少年達ほぼ全員がなのはに目を向け、申し合わせたようにその頬を赤らませる。
ちょっとおかしいんじゃないのかな、その反応は。なんでそんなに照れてるの。
なのはの疑問に答える声はなく、時は動き出した。

「な、なになに!?」

思わずたじろいで驚きの声を上げる。
コンマ一秒にも満たない空白だったが、再開された後の試合は、レベルが見違えるほど上がっていた。
少年達の足の間で踊るボールは通常の三倍のスピード。思わず赤いんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。

「うぉあああああ!!」
「甘い、甘いぞ!!」
「そこだぁ!!!」
「っく、やらせるものか!!」
「なんとぉ!?」

少年達の顔はもはや年相応にスポーツを楽しむ顔ではなく、大切な何かをかけた戦士の顔だった。
肌をすりむくこともいとわず放たれたスライディングが鋭く地面を抉る。ボールを取られそうになった少年は、しかしそれだけはさせまいと、転倒しながらも味方チームにボールをパスする。
それは既に少年サッカーチーム同士の試合ではなく、レアルマドリードも真っ青の死闘だった。

「……なのは、私なんかむかつくわ」
「……そんなこと言われても」

観客を置いてきぼりにして、試合の流れはどんどん加速していく。

しかし目を血走らせてプレイをする少年達の中、なのはも見覚えのある顔が一人、冷静さの感じられる動きで主導権を取った。
それに反応するように、なのはから少し離れたところで応援していた女子が立ち上がる。
彼女もなのはの見知った顔だった。そこまで深い付き合いをしていたわけではなかったが、名前くらいは記憶のどこかに引っかかっている。

「……佐々木さん?」

佐々木さんだよね、あれ。

そして今グラウンドを相手ゴールに向かって駆け上がっている少年が宮本君だ。
ああ、と納得した。

「あの二人も清純なおつきあいしてるわね」

やれやれといった風にアリサ。
別に付き合っているわけじゃない。けれど二人が相思相愛なのはクラスはおろか学年中の、エジソンは偉い人以上の常識だ。
いつもさりげなく宮本少年を影から見守り、勝手にドジをして電柱に頭をぶつけたりする佐々木少女。
それに気付いている宮本少年は「仕方ねえなぁ」と言いながら細々と世話を焼く。
何でも二人は家が近いそうで、下校した後も何かと一緒にいるらしい。
とどめを刺すように今年のバレンタインデー。告白までには至らなかったらしいが、本命チョコを渡すところまでは成功したと聞く。

「宮本、てめぇには佐々木さんがいるだろうが!!」
「そうだ! お前にこのゲームで活躍する権利はない!!」

「な、なに言ってるんだお前ら!? 勝負中だぞ!」

味方からもスライディングやらアタックやらをかけられる宮本少年は必至でボールを守りながらスピードを上げる。
宮本少年の抗議は至極当然だったが、ボールに食らいつく哀戦士達には理屈を超越する信念があった。

勝利の栄光を俺に!!!

……ぶっちゃけ、ただ目立ちたいだけとも言う。むしろそうとしか言わない。

そして「誰に一番見て欲しい」と言われたら一斉に指を指されるであろう観客は、高町なのは嬢。もとい、なのは君。
性別の壁を超えた美しき愛だった。
同時に越えてはいけない一線を越えていたが。
だが溢れんばかりの情熱が、ピンチを呼び込んでしまうこともあったりする。

「っておい中村、キーパーのお前まで出てきてどうするんだよ!!」
「し、しまった!?」

その結果、相手チームのキーパーまでもが前線に出てきたのがあだになった。
突っ込まれたキーパーが元の位置に戻ろうとするが、既にゴールまで一直線、致命的な隙ができている。
宮本少年はそれを見逃さなかった。

「入れっ!!!」

サッカーシューズに包まれた、宮本少年の足の甲が鋭くボールを蹴る。
自然になのはを含めた観客に力が入った。
しかし動体視力に優れたなのはには見えた。ボールの横からも足が伸びてきていたのだ。

(あ、惜しい……)

ギリギリで機動をずらされたボールは、恐らくゴールには入らない。
握りしめた手を緩め、多分自分よりも大げさに悔しがるアリサをなだめようと、ボールから視線をそらす。
すぐにアリサの目が見開かれるのが見えた。ほら、やっぱりボールは外れた。

「アリサちゃん、ざんね」


――――――――――――あれ?


視界の片隅で、鋭く蹴られたボールが地面と水平に飛び、見事ゴールネットのど真ん中を揺らしたのが見えた。
一瞬グラウンドが静まりかえり、直後爆発する。
見事なシュートにアリサはよーしとガッツポーズを取り、すずかは笑顔で拍手を送った。
グラウンドの少年達は滂沱しながら自らの力不足を悔やんでいるようだった。
そしてゴールを決めた宮本少年が、グラウンドの中心で観客席に向かって手を振った。

なのはは無表情で、どこも見ることもなく思考に暮れる。

なにか、あった。ボールが蹴られたとき、なにか変な感じがした。
なん、だろう。

答えを導き出せないでいるなのはの背後で、宮本少年に笑顔を向けている少女のポケットの中、青い宝石がキラリと光った。

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