「いい試合だったね」
「私は、あんなのは”いい”じゃなくて”壮絶”っていう形容詞を付けるべきだと思うんだけど」

サッカーの感想である。
アリサの表現は的確だった。戦場に向かうがごとき気迫でプレーする相手チームに対し、翠屋JFCは普段では考えられないような動きを見せ、1-0というぎりぎりながらの勝利を掴んだ。
なのはの父はそのプレーにいたく感動したようで、今はチーム全員に料理をふるまうべくキッチンで孤軍奮闘している。
そのプレーの原因が、自分の息子の応援だったとも知らずに。

その息子はスポーツに汗を流す少年達が放つ舐めるような視線から、逃げるようにして翠屋の外でお茶を楽しんでいる。
いや、楽しんではいない。なにせ翠屋の中から窓越しに、いくつかの視線がしつこくなのはを細くしていたから。
武道でたしなんだ精神集中で極力その視線を無視しながら、ダージリンティーが入ったコップを傾けた。

「それにしてもなのはちゃん、わざわざユーノ君連れてきてたんだ」
「ちょっと家で連れてって、ってごねちゃって。私は連れてこない方がいいと思ったんだけど」

コップの受け皿の横でさくさくやっている小動物に目を向ける。

昨日の夜にぼこぼこになったことをそれなりに根に持っていたのか、明日は映画を観に行くと言ったなのはに「ボクも連れてってよ」とぶつぶつぶつぶつうるさかったのだ。どうやらこっちの世界の映画に並々ならぬ興味があるらしい。
もちろんそんな義理はないと断ろうとした。明日はアリサと映画を見に行くのだ。呪いとしか思えない精度でトラブルを引き寄せるユーノを連れて行くなど、言語道断だった。
しかし結局なのはは了承した。それはユーノによる必死の交渉の成果だったのだが、もちろんなのはにはなのはなりの考えがあってのことだ。

笑顔の裏に潜む母親譲りの暗黒面などつゆしらず、翠屋特製のクッキーをほおばるユーノ。その様は実に幸せそうだった。小動物として。

「でも可愛いわね」
「うん。ほら、私のも食べる?」

ユーノはすずかが差し出したケーキのひとかけらにぱくついた。幸せの絶頂な感じの表情だ。
なのはのように特別意識していなければ、可愛いと言われても男の子は悪い気はしない。褒められれば嬉しいものなのだ。ユーノもその例外ではない。

「うん、可愛いでしょ?」

しかしなのはがこの台詞を吐くことなど、ユーノの想像からは到底超えることだった。
驚愕のあまり見開かれるユーノの目に満面の笑みを映しながら、なのはは自分の分のケーキを小さく切ってフォークに載せた。

「ほらユーノ君、私のも」

この行動はユーノの想像の限界を再び突破した。
怪しい。あまりにも怪しすぎる。
だがここで食べないと言うのも不自然なので、ユーノはおそるおそる真っ白なクリームに包まれたスポンジを口に運んだ。するとなんのことはない、全く普通のショートケーキの味がする。

「えへへ、ユーノ君は食いしん坊だね〜」

なのは、頭大丈夫?―――念話を送りそうになって、ユーノはぎりぎりで思いとどまった。
なのはの手がユーノの頭に触れたからだ。しかし握りつぶすようなことはなく、優しく撫でるだけである。ユーノの疑問は益々膨らんだ。

えへへ? 食いしん坊だね? なんなんだこの女の子っぷりは。

普段から男っぽさの世界ランキングワーストワンのなのはではあったが、今度ばかりは度が過ぎている。

「あー、なのはずるい! 私もなでる!」
「私も私も〜」
「うん、いいよ」

遂になのはも僕のことを認めてくれたのか? いやいや、だってあのなのはだよ? ないない、絶対ない。これだって何かの目的があるに決まってる。何か……何か……

アリサとすずかになで回されながら必死に頭を回転させるが、正しそうな答えは一つも見つけられなかった。
そんなユーノを、なのはは天使のような微笑みで見つめてくる。その表情には全く邪念が感じられなかった。いつものなのはなら邪念の奥に少しだけまともな感情が見つかるかどうかなのに。

なでなで

(もしかして……本当になのはは、僕のことを認めてくれたの?)
ユーノが開いた念話に答えは返ってこない。ただ、暖かく見守る視線があるだけだ。

なでなでなでなで

(なのは、そうなんだね? そうなんだね!?)
微笑みは変わらない。

なでなでなでなでなでなで

(ありがとうなのは! 僕はなのはのこと信じてたよ! ……っと、ちょっと撫でるのが強すぎるかな)

感動に包まれながら、遠慮なく全身をなで回してくる二人から逃れようとするユーノ。
しかし、足は動かなかった。

なでなでなでなでなでなでなでなで

(あ……れ?)

というか、全身が動かない。
変な姿勢で寝てしまい血管が塞がれ、朝になってしばらくの間手や足が気持ち悪い感覚につつまれるアレの強化ver。
やがて二人が触れてくる場所が、痛くすぐったくなってくる。

「あは、ユーノ君気持ちよくなって寝ちゃったみたいだね」

天使のような表情のまま、なのはは言った。微笑みには本当に屈託がない。
だのにユーノはその時全身から冷や汗が沸いたような気がした。気のせいだ。フェレットの発汗線は毛穴に塞がれ、ないも同然なのだから。

「ほんとだ。マイペースなフェレットね」
「でも寝顔も可愛いよ」

違う! これは寝てるんじゃなくて金縛りだ! ユーノは心の中で絶叫した。
周りからは穏やかな表情で眠っているようにしか見えないため、当然誰も気付かない。

「ねえすずかちゃん、ユーノ君を今日一日預かってくれないかな?」
「え?」

ユーノの疑問とすずかの声がシンクロした。
すずかが何気なく聞いたのに対して、ユーノの心中は穏やかではなかったが。

「駄目なら別にいいんだけど」
「ううん、これから私は家に帰るだけだし……でもなんで?」
「えっと、ほら、これからアリサちゃんと一緒にいくから」
「あっ……」

アリサの頬がポッと赤く染まった。照れである。
ユーノの顔がドッと青く染まった。<b>絶望である。</b>

「でもちょうど良かった。アリサちゃんと映画見に行くのに、ユーノ君連れて行けるのか心配だったし」
「二人のデートを邪魔されたら困るもんね」
「デ、デートなんかじゃないわよ!!」
「そ、そうだよ。ただ二人で映画を見に行くだけで……」
「……あんたも否定するんじゃない!」
「あいたっ! ……うぅ、なにするの?」
「あんたが悪いっ!」
「うん、なのはちゃんが悪い」
「そんなぁ」

そんなぁ、はユーノの台詞だった。もっと正確に言えば――

(そっ、そんなっ!!! まさか全部計算尽くだったの!!?)

――である。

「ふふふ。じゃあ、ユーノ君は私が預かるね」
「ありがとね」
「ううん。私動物大好きだし、ユーノ君可愛いし」

トントン拍子で進む交渉に、ユーノは念話で声を張り上げた。

(なのは! 君って奴は……あの純真無垢な笑顔はなんだったんだ!!!)
(は? 君を痛めつけられるっていう純真無垢な喜びだよ?)

こともなげ。ユーノは自分が、なのはのダークサイドの深さを甘く見ていたことを悟った。
こうなれば自暴自棄だ。なのはに精神的な復讐をするべく行動する。

(そんな卑怯で陰湿なことやってるから君はいつまで経っても男らしくなれないんだよ!!)
「ねえすずかちゃん、ユーノ君ってなんでか大型犬に舐められるのが大好きなんだ」
「ふ〜ん、変わってるんだね。分かった、ジョンのそばで寝かせてあげるね」
「うん。お願い」
(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい僕が悪かったです!!)

所詮なのはとユーノでは役者が違った。
速攻で平伏したユーノに対してなのはは、

「多分凄く騒ぐけど、それは楽しいっていう表現だから気にしないでね」

実に容赦がなかった。

(なぁあああのぉおおおはぁあああああ!!!!)
「じゃあアリサちゃん、行こっか」
「でも、まだ時間あるわよ?」
「少し街をぶらぶらしよ? 私、アリサちゃんと話したいし」
「べ、別にあんたがそうしたいなら反対する理由はないけど……」
「じゃあすずかちゃん、また今度ね」
「うん。……アリサちゃん、頑張ってアタックしてね」
「余計なお世話よ!」
「アリサちゃん、アタックって何?」
「なのはは分からなくていいの!!」

そんなベタすぎるラブコメが目の前で展開される中、ユーノはすずかの腕の中で身動き一つとれず、すでになのは側でカットされた念話に声を送り続けていた。

今日のユーノ君の教訓。
食べ物は チェックをしよう 食前に
       相手によっては なおさら細かく(字余り)

お粗末。



――――――――――――――――――――――――――――――



さて、恋人同士――とは当人達が認めていないが――がすることと言えば、子供だろうと大人だろうと大した差はない。究極的には一緒にいる、の一言に集約される。
それぞれの個性が表れるのはどこで、何をしながら一緒にいるかなのであるが、この二人はオーソドックスにウィンドウショッピングを楽しんでいた。
もちろん服を買う金などないが、元来商品を話題にして会話を弾ませるのが目的の行為だ。問題はない。

「この服なんかなのは、似合いそうね」
「アリサちゃん、それはワンピースだよ……」

でも、私がこれを着たとして……うぅ、違和感がない……
げに哀しきは女顔。そしてなのはの主観的な要素を排除すれば、違和感がないのではなく、実に似合っていると評することが出来た。
健康的な魅力で男子達の視線を釘付けにすること請け合いだ。そして群がった男子は数秒後に、屍の山と化すのである。実に不毛な未来だった。

「でもなのはに男物を着せると、逆に女の子っぽく見えるのよね。こう、ボーイズ系ファッションっていうかさ」
「私は間違いなくボーイズだけど」
「知ってる」

アリサの態度に、おとといの面影はなかった。
頭からコーンポタージュをかぶったり、首の骨が折れそうになったり、頭蓋骨が陥没しそうになったのだ。今日まで引きずられてはあまりに労が報われないところだったが、心配のしすぎだった。
映画の誘いにのったくらいでなんで、どうしてこんなに機嫌が良くなったのかは未だに少し理解できないところもあった。しかし機嫌が悪いままよりははるかにマシだ。
ウルトラ級トラブルメーカーも今はケーキに混ぜた薬で身動きがとれないし、こうやって楽しく会話ができるしで、まさに万事順調。

唯一の気がかりと言えば……サッカーで点が入る瞬間に感じた変な感じ。
凄く小さかったけれど……あれは、まるでジュエルシードを近くにしたときの感じだった。

……まさか、ね。

ただの勘違いだろう。そうそう巻き込まれてはたまらない。
たまらないのだ。本当に。


「……のは。なのは?」
「え? あ、どうかした?」
「それはこっちの台詞よ。急に黙っちゃって、どうしたの?」
「ご、ごめん。ちょっと考え事を……」

それを聞くと、アリサは顔をうつむかせた。

「アリサちゃん?」
「……やっぱり楽しくない?」
「っち、違うよ!」

なのはは大いに焦る。強気なアリサが、今日に限ってこんなにしおらしいことに驚いて、すぐに自分の間違いに気付いた。
ふっきれてなんかいなかったのだ。おとといのことを。

「今日だって、私をガッカリさせないように無理に……」
「そんなことないよ! 私はアリサちゃんと映画を観たいって思ったから……!」
「……うん」

和気藹々とした空気は一瞬で色を変えた。
非常に気まずい。二人の間に流れる沈黙が、ごりごりとなのはの精神を削り取る。

「の、のど乾いてない? ちょっと待って手、お茶買ってくるから!」
「あっ……」

逃げるようにして、なのははコンビニに走った。すずかがいれば頸動脈を気絶寸前まで締め上げて教育されそうな愚行だったが、幸か不幸かそのすずかは、翠屋で、なのはの策略によって麻痺したユーノを優しげに抱いているところであった。
一人残されたアリサ。無意識になのはに向かってのばしていた右手は、ぷらん、と力無く地面に向かって垂れ下がった。

「……はぁ」
「友達と喧嘩でもしたのかね、お嬢ちゃん」
「ひえっ!?」

突然かけられた声にアリサは全身を硬直させた。
華やかな店が並ぶストリート、ビルとビルの間に空いたわずかな隙間に、小さな店を開いている露天商だった。ぼろぼろの帽子を深くかぶり、容姿は分からない。声で男性だと言うことはなんとか分かった。
広げられた商品は、小さなアクセサリー類だ。

「そう言うときは小さなプレゼントに限るよ。一個100円から。どうだい?」

どうやら横で一連の会話を見ていただけのようだ。
アリサは断ろうとして、商品の一つに目を引かれた。

「ああそれかい? この前道ばたで拾ったんだ。結構綺麗だろう?」

露天商の声はアリサに届いていない。じっとその青い宝石に見入っていた。
綺麗だけれどそれだけじゃない。人を捉えて離さないような、不思議な魅力があった。

「これ、いくらですか」
「さっきの友達にかい?」
「……は、はい」
「そうかいそうかい! いや、お嬢ちゃんみたいに可愛い子相手に商売はできねえな、タダでいいよ!」
「え? で、でも」

遠慮がちになるアリサに、露天商は豪快に笑った。

「なぁに、拾ったって言っただろ? 元値もタダだ。遠慮なく持ってきな」
「あ、ありがとうございます!」
「いいってことよ。俺みたいなむさ苦しい男が持ってるより、よっぽどいいだろうよ」

青い宝石がアリサの手に収まる。
そのまま少しの間をおいて、なのはがお茶を両手に持って帰ってきた。
反射的に宝石を握ったてを背中に回す。

「お待たせ〜。あれ、今隠したのって?」
「べ、別になにも隠してないわよ。気のせいでしょ」

言いながら、宝石をポケットに落とし込む。
なのはに気付く様子はない。

「ほら、いこ。そろそろ映画の入場時間になるわ」
「そうだね」

アリサはちらりと露天商の方を見る。
もうカップルを捕まえて、商品の売り込みを始めていた。



――――――――――――――――――――――――――――――



Mサイズのポップコーンとコカコーラ。映画を鑑賞するための、あまりに有名なサブアイテムだ。なのはとアリサもその例外に漏れず、二つをきっちり購入し、係員の誘導に従って13番ホールに入った。
さすが全世界待望の新作と銘打つだけあって、主に若い世代が中心となって座席を埋めていた。その間を通り、目的の席へ。
ホールを正方形とすると見事に交差点上。スクリーンからの距離も角度も申し分ない場所に、アリサが予約していた席はあった。
周りからすくなからず羨望の視線を受けながら、二人は腰を下ろす。

「いい席だね」
「ふふ。このアリサ・バニングス、そこら辺に抜かりはないわ」

しかしアリサにとって、本当の勝負はこれからだった。翠屋を出るときもすずかから声援を受けている。

『頑張ってアタックしてね』

アタックという言い方がアリサとしては気に入らなかったが、これを機になのはとより仲良くなることを目指すことに間違いはなかった。
誰がどう見てもそれがアタックなのだが、アリサは断じて認めたがらない。これはあくまで友達として、より親密になるだけなのよ、と。
あまりに説得力に欠ける言い訳なのだが、アリサはそんなこと気にしない。
彼女の頭の中は、どうやってアタック……もとい、友好を深めるかどうかが、劣化ウランなみの高密度でぎゅーぎゅー詰めだった。

(コーラを一つしかたのまないで間接キス作戦は失敗したし……次の手を打たなきゃいけないわね。ポップコーンをこぼして拾うふりをしながら転んで抱きつくとか。なのはは恐がりだから、怖いシーンで『大丈夫、私がついてる』『うぅ……アリサちゃん!』なんていうのもいいわよね)

その時のなのはの肌触りを想像して、顔をだらしなくゆるませるアリサ。発想がオヤジだ。加えてなのはが抱きつき、アリサが抱きつかれるのは、例え間違っていなくとも、いろいろとおかしい。

(……でも、これホラー映画じゃないし)

これから上映するのは超大作SF。相反する立場にある幽霊の類は出てきそうにない。
なのはは超常現象が苦手なのであって、血がドブシャァ! とか骨がグロッキャ! とかは全然平気なのだ。
なにせ生身で体験してるんだから、というところまではアリサも知らない。

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