なのはの身体は錐もみ回転しながら地面に叩きつけられた。余力で亀裂の走った道路の上を転がり、ビルの壁にしたたかに全身を打ち付けて停止する。
混乱を極めた脳から最初に送られてきた情報は、単純で強い痛みだった。

「あぅっ、ぐぅ……!」

発信源も分からないまま激痛は頭の中を駆けめぐる。落ち着いてくると(それでも全身が痛かったが)、特に右腕からの痛みが酷い。
傷を確認するために目を開けようとしたが、左目の視界に赤いカーテンがかかっていた。額からの出血だ。仕方なく左目は閉じて再度確認を試みる。

「ん」

右肘、二の腕、掌から出血。上手く動かないのは肩を脱臼しているからだ。左手で触診すると、肘から手首にかかった部分の骨にヒビが入っているのが分かった。
直撃したのはこの部分だろう。なのはもできるだけ衝撃は軽減させたつもりだったが、それでもこの被害だ。
肩を掴み上げて骨を元の位置に戻しながら、なのはは振り返った。ビルを取り込みながら、尋常ではない大きさの木が刻々とその身体を生長させていた。ここはB級ファンタジー映画の中かと突っ込みたくなってくる。

「なんで後ろから……」

怪我は大した問題ではない。これくらいの怪我は兄との特訓で慣れているし、すずかの攻撃に耐えきった身体だ。
しかしあそこには……

(なのは、大丈夫!?)

慌てたユーノの念が思考に入ってくる。当事者のなのはは冷静に辺りを観察して返答した。

「……あんまり。だけど周りはもっと大丈夫じゃないみたい。一体何が起こったの?」
(信じられないけど……ジュエルシードがもう一つ発動した)
「そんなことって……」

驚きながらもある程度感ずいていたなのはであった。これほどの非常識、原因と考えられるのはジュエルシードくらいの物だ。すぐそばでうり二つの現象が起こっているのもあって誰でもたどり着くであろう答えである。
だがジュエルシードはそう大量にある物ではないのだ。この広い街に散らばっている以上、こんな小範囲に二つ存在することなどあるのだろうかという疑問が払えていなかった。

(あるはずはないけど、あり得ることだよ。ジュエルシードが複数ある以上、可能性はゼロじゃない)
「それもそうだ……けどっ!!」

アスファルトが盛り上がった。ヒビの中から木の根がのぞく。少しも落ち着けない。爆発的な生長はそれだけで殺人的な威力を持っており、なのはが飛び退くと同時にアスファルトを突き破る。
飛び出してきた根は瞬く間に手近にあった街灯に巻き付き覆い隠した。

「さっきより勢いが激しくなってる!」
(もう一つのジュエルシードに相互反応してるのか……早く封印しないと取り返しの付かないことになる!!)
「そんなこと言ったって、どっちを先に封印すればいいの!? こっちはアリサちゃん、そっちはすずかちゃんを巻き込んでるのに……」

どちらが大事とか、そんな問題ではない。どちらも選ぶことなどできないのだ。
これが二人とユーノ君だったら迷わずユーノ君を切り捨てるのに!
なのはは嘆いた。
その時ユーノが言う。

(落ち着いてなのは! そっちのジュエルシードの位置を探すんだ!)

ユーノのごときの命令に従うのは菜の葉のプライドを痛く傷つける行為だったが、この方面では悔しいがユーの野方が知識は上だ。つまらないプライドにこだわっている場合でもない。なのははすぐに言われたとおり捜索を始める。
物理的な視覚に頼っても効率が悪い。なのはもいい加減魔力を感覚的に理解できるようになっていた。ましてジュエルシードの魔力は常軌を逸している。
表面に根を張られたビルとビルの狭間から見える大樹の幹にそれはあった。

(あれか)

人が数十人手をつないでも囲みきれないような太い幹の中から、強い光が漏れている。残った目を凝らすと、その繭のような光の中にアリサの姿があった。

「見つけた! アリサちゃんと一緒みたいだ!」
(今回の媒体は彼女なのか)
「早く助けないと!」
(待つんだなのは! 媒体になっているってことは、少なくとも彼女自身に危険はない。こっちを先に片付けたほうが合理的だ! 結界を張って時間を稼いでるけど、消費が大きいから五分以上は保たない!)

一見自己中心的にも見えるユーノの意見は、冷静に考えれば当然のことだ。今アリサがいる場所はいわば台風の目であり、なまじ離れたところにいるよりも安全なのは疑いようがない。
感情がなのはを納得させなかったが、迷いはすぐに断ち切った。感情的になって結局被害を拡大させるのは馬鹿がすることだと自分を叱咤する。小学三年生程度の年齢ならばそれが当然であるのかもしれないが、なのはは若さを言い訳にするつもりはなかった。
リリカルを切り捨ててロジカルに。戦いでは常に、感情を捨てることが最高の結果を導き出す。

「っ、わかった!」
(だけど木を生長させすぎるとこっちがどんどん不利になるから気をつけて!)
「だったら急げばいい!!!」

叫んだ勢いのままなのはは変身した。相変わらず太ももがスースーする感覚が好きになれない。だが文句を言うのは後にした。今は一分一秒でも惜しい。

「ユーノ君、今の状況に適する魔法は!?」
(木の生長が早すぎて接近は危険だ! 遠距離からの封印ができれば……)
「どうすれば使えるの!!?」
(レイジングハートをシューティングモードに変形させれば魔法の射程は伸びるけど……操作は難しくなる)

さらに詳細をたずねようとして、止めた。覚えてもいないことが頭の中に次々と流れ込んできたからだ。シューティングモードの効果、長所、短所、その他もろもろ。知識の面で術者をサポートするのもレイジングハートの役目だった。
シューティングモード。デフォルト状態と比較して、魔法の威力、射程を増加させる。指向性の操作も可能。短所としてスピードの低下、消費魔力の増加などが挙げられる。
そんな声とも文字ともつかない情報の大方を把握する。

「スナイパーライフルみたいなものだね。とにかくやってみる!」

ここは市街地だ。ビルや突き出した根が障害物となって本体を狙えない。
ならば……上。

「できれば高いところに移動したいけど、飛べるかな?」
(難しい魔法じゃないから多分できるはずだ。足の底から飛ぶ力が出てるみたいに想像して!)
「こうかな……うわわわわ!」

イメージすると同時に足首にピンク色の光の翼が現れた。重力に反発する何らかの力が働いて体が宙に浮く。初めての経験になのはは戸惑った。足場が定まらずに安定できない。

「バ、バランスが難しいね」
(少し待って。レイジングハートが出力調整をしてくれるから)

正体不明の力は右と左で強まったり弱まったりを繰り返し、やがて地面の上に立っているのかと錯覚させるほどの安定感を提供した。違うのは移動するにも加速するにも足の筋肉を使う必要はなく、頭の中にイメージするだけでそれが実行されるということだ。
地上での運動性こそ完璧に再現しているわけではないが、即席としては十分以上といえる。なのはは満足した。ちなみにその外見がますます真の魔法少女に近付きつつある自覚はない。
なのははビルの屋上を目指して飛び上がると、飛び越えてしまいそうになり減速、ゆっくりと着地する。

「ここからなら……! レイジングハート、目標は前方の巨大樹木。ジュエルシードの位置を特定」
『Hold on,please...target rock』

こちらの媒体は一人の少年と少女だった。互いに抱き合うような形で光る繭に包まれている。
顔には見覚えがあった。サッカーの試合にいた同じクラスの佐々木君と宮本さんだ。
思い起こせば、あの時確かに嫌な予感がした。したが放っておいた。ただ単にジュエルシードと確信できなかったが、それだけではない。無意識の巻き込まれたくないと言う願望がなのはの感覚を、推測を曇らせたのだ。

(あの時回収していれば……)

関わりたくないと避け続けた。何よりも大事なのは自分で、”他人”なんてどうなろうと知ったことじゃなかった。
唯一の例外が日常。そしてその日常を構成する上で絶対に欠かせない親友。魔法に関わりたくなかったのも、これによって間接的にアリサたちが巻き込まれることを忌諱してだ。平穏無事、騒がしくも楽しい日常が壊されることを恐怖してだ。
その結果二人を巻き込むことになったのは皮肉としか言いようがない。九年間の人生の中で上から二番目の悔さ。もはや自分の一部となっている二人を危機にさらした屈辱と自責で唇をかみ締める。つぅと血があごを伝い、地面に落ちた。

(もう、無関係じゃいられない、か)

そこで終わり。自己嫌悪とか、きついしごきを兄に要求するとか、そう言う罰は全てを片づけてからでいい。ジュエルシードが明確にアリサたちに危害を加えるならば何をためらうことがあろうか。今はただ魔法だろうがなんだろうが飛び込んで、ありとあらゆる手段を使い脅威を殲滅するだけだ。
断固たる信念を踏みしめレイジングハートに次の命令を下す。

「シューティングモードへ移行」
『Change to shootingmode』

ガチャン、ガチャンと金属音を響かせながらレイジングハートは姿を変えた。縦に伸び、先端の突起が排気穴をのぞかせる。魔法の杖とは思えないほど無骨で機械的な動作だ。まるで戦闘用に思考を切り替えた
なのははもうレイジングハートを杖と思わないことにした。これは総合的な戦闘補助機械だとイメージしていたほうがしっくりくる。ユーノもレイジングハートのことをデバイスと呼んでいたからあながち間違いではないだろう。
もうまともにファンタジーの魔法使いを楽しめる自信がない。
だが射撃が成功する自信はあった。

「誤差修正は任せるよ。発射カウント、3、2、1……ファイア!!!」

信じられない光量がレイジングハートからあふれた。排気穴から吹き出た魔力の残滓となのはの全魔力の25%、その差分が一条の光となって一直線にジュエルシードへと向かう。
ジュエルシードが防衛機能によって根を急成長させ妨害に出るが、ほとんど魔力の入った風船状態だった根は、本来物理的には何の効果も及ぼさない魔力の塊によってかき消された。

ヒット。

力を力で押さえ込む単純で直線的な攻撃に、だからこそジュエルシードは何もできない。ただ断末魔のように青く輝きを撒き散らすだけだ。
数百mの距離が間にあっても、なのははしっかりと手ごたえを感じていた。遠距離からの狙撃は今までの封印より威力は小さかったがそれでも数秒、押し切れば終わりだ。

「いける!」

ジュエルシードの輝きが徐々に弱まる。なのはは勝利を確信してレイジングハートの柄を握り締めた。
しかしその時、なのはの背後から数本の根が襲い掛かった。射撃に集中して反応が遅れたなのはの体に巻きつき、猛烈な勢いで背後に引っ張る。

「後ろ!?」
(何かあったの!?)
「後ろの木が邪魔を……だめだ、どんどん引っ張られる!」

反応が遅れたのは。木の根は先ほどから獰猛にそのテリトリーを広げるだけで、人がいようと物があろうと攻撃はしていないからだった。外側に対して自発的なアクションはないだろうと踏んでいたのだ。
なのはは知らないが、先に発動させたジュエルシードは「少年に対する危険の排除」と「邪魔のない二人の世界」を実現するべく暴走していたので、この予想は的をついていた。コアとなった少女の内向的な性格も、攻撃的積極性を極力押さえる方向に作用している。

だが同じジュエルシード、同じ木だから、同じ作用しかしないだろうというのは早合点だった。ジュエルシードの原動力となる人間が違うのならば、当然その作用も別になる。
偶然にもアリサの望みは「邪魔のない二人の世界」であり、先に発動した望みと非常に似通っていたが(二つが影響しあったのも大きい)、「二人」の内容は決定的に異なっている。

少女が望んだのは極近距離にいた宮本少年。
それに対してアリサが望んだのは高町なのはであり、なのはの捕獲が優先とジュエルシードは判断したのだ。

もちろん少女のような容姿にかけては日本でも右に出るもののいない我らがなのは少年は、女心にかけては日本でも右に出るものがいないほど疎い。それが頭脳明晰ななのはが誤判を犯した唯一にして最大、かつ解決しようのない原因である。
木の根に巻きつかれ、ひびの入った骨を圧迫され、母の”教育”にも迫る激痛を味わいながら、なのははあせった。

「時間がないのに……う、あああああ!!!」

苦し紛れに絶叫して、巻きついてきた根を弾き飛ばす。魔力が筋力強化の面でも役に立っているのか、普段なら力の入らないこの姿勢でも案外簡単だった。その代償に右腕の痛みが強くなった。ひびが更に広がったのだろう。痛みは無視するからいいとしても、なるべく気を使わなければ折れてしまうこともありうる。
ひびと骨折では(正確にはひびも骨折だが)完治にかかる時間も、失う戦闘力も大きな差があるのでそれは避けたい。

右腕をかばいながら次々と襲い掛かってくる根をかわす。圧倒的な物量が相手ならば細かい動きをするよりもひたすらスピードで回避したほうが効率がいい。まるでミサイルに追われる戦闘機のような軌道を描きながら距離を稼ぐうちに追撃は収まった。
しかし距離の壁は平等だ。ここからではアリサの暴走体はおろか、ついさっき追い詰めたばかりの暴走体も距離がありすぎる。歯噛みするなのはを尻目に、暴走体はシーリングを浴びて消えかかった魔力を再び猛らせている。
振り出しに戻る、だ。
魔力を四分の一以上使ってダメージが増した分、状況は悪化したともいえるだろう。もう一度レイジングハートを木に向け封印を試みるが、アリサの方を放っておく限り成功はなさそうだ。その間にも刻々と時計は針を進める。
普通の人間ならば、ましてや小学三年生ならばあせりに思考が鈍り始める状況で、なのはの頭脳は逆にどんどんとその回転速度を上げていた。追い込まれれば追い込まれるほど強くなるタイプと、自分の命に危機が迫っても冷静な思考を保てるタイプは非常に相性がいい。そのハイブリッドがまさになのはだった。

「ユーノ君、遠距離だと射撃に正確性がないしタイムラグも大きすぎる。シーリングは使えて後三発、失敗をする余裕はない。接近して直接封印する」

事務的で底冷えするような声に、ユーノはなのはという少年の本質に触れ戸惑った。

(ま、待ってよなのは、それじゃあ君が危なすぎる!)
「時間がない。私の安全なんて二の次だよ。ユーノ君、あとどれくらい保つ?」
(さっきのシーリングの余波で大分魔力が削られたんだ。それでもまだ一分強はやれるけど……)

それを聞いたなのはの表情が一変した。どうも彼がかかわるとシリアスな雰囲気がぶち壊される法則があるようだ。

「一分!? さっきは五分くらいあったのに!? 巻き添えでそんなにダメージ受けるなんて情けなさ過ぎ!!」
(グフッ! ……そ、そんな言い方はないだろ!? なのはの射撃が予想以上に射撃面が広かったんだよ! もう少し威力を考えて繰ってくれればよかったんだ!!)
「責任転嫁するなんて情けなさに磨きがかかってるね。言っとくけど、すずかちゃんがいなかったら君を助けたって害にしかならないんだからそこのところ自覚しておいてよ」
(害!? ゼロどころがマイナス!? マイナスの使い魔!?)
「だからせめてゼロになるくらいは役に立って。そうじゃなかったらユーノ君には『マスコット史上最低最悪最弱』の称号を与えるから」
(ひ、ひどい!!)
「二分。それだけあればなんとかなる。絶対にすずかちゃんを守ってね? じゃないと殺すから」
(……この結界が破れたら僕も死んでると思うけど)

私もすずかちゃんが死んだら死ぬだろうけどね。
口には出さない。

魔法によって空を蹴り再加速。軽い衝撃波すら発生させながら突っ込むなのはに、反応した根が四方八方から襲い掛かる。

「アクセル!!」

これも自然に頭の中に入り込んできた呪文だった。曰く効力は加速。問題点は術者自身がスピードに翻弄される可能性があること。
高町なのはにそんな低レベルな失敗はあり得なかった。日ごろ鍛えた反射神経が視覚情報をすばやく脳に伝え、まるで脊髄反射のような反応性で迫りくる根の間を翔る。
電撃戦という言葉がある。高機動でもって敵軍に立て直す隙を与えず一気に押しつぶす戦術だ。なのはの戦闘は内容こそ違えど、その様子はまさに電撃戦の名にふさわしいものだった。
直角の方向転換を行い、連続させる。その様子はまるで稲妻だ。根はまったく反応できない。成長によって擬似的に攻撃しているのではこれが限界だった。根の防衛網を瞬く間に突破する。
ここまでくればジュエルシードの位置も、コアとされている彼女の姿も仔細が確認できた。光の繭の中にとらわれているアリサは眠っているような表情だ。

呼びかけたいのを我慢して、銃剣のようにレイジングハートを構える。メートルを切るまで接近。アリサに向かって魔法を放つのは、それがたとえ非殺傷性だったとしても後ろ髪をまとめて縄で縛り片方を闘牛の尻尾に結び付けてマタドールをするくらい抵抗感がある。
それを振り切った。奥歯を噛み砕かんばかりに歯を食いしばりながらレイジングハートに命令する。

「レイジングハート!!」
『Ok.sealing mode set up.receipt number...』

眠り姫の顔をのぞく。美少女が光る繭の中目を瞑りたたずむ。非常識な状況もいいアクセントになっていて神秘的な光景だった。額縁を重ねれば立派な絵画になるだろう。題名は「巨木に囚われし姫君」。
金髪がきれいだなとか、場違いで単純な感想がなのはの集中に少しだけノイズをかける。

『なのは……?』

不意打ちのように名前を呼ばれた。。シークエンスに割り込んでくるような絶妙のタイミング。
この一瞬だけなのはも冷静を欠き、集まり始めていた魔力はまとまりを失った。

「しまったっ……!」

根が隙をついてなのはの動きを封じる。自分のミスに気づいたなのはが対処するより、それが二重三重に巻きつく方が早かった。

『どこに行くの? 今日は私と遊んでくれるんじゃなかったの?』
「アリサちゃん!」

意識はないと思っていたアリサが少しさびしそうに話しかけてきた。まるでトンネルの中のように声が反響する。

『今日はなのはは私のモノ。どこにも行っちゃ……やだよ』

根が動き、なのはとアリサの距離が縮む。
アリサに正気はなかった。嫉妬心とすら言えない幼い感情が自制なく吐き出される。おかげで何の飾り気もない本心を伝えられたが、純粋な独占欲は状況を無視してなのはを拘束し続ける。

「アリサちゃん、今はそれどころじゃ……」
『やだ! どこにも行っちゃやだ!!』

まるで駄々をこねる子供だった。アリサは感情のままにしゃべっているだけだ。ジュエルシードの能力はそれを手助けしているに過ぎない。
普段は恥ずかしさが邪魔をして出てこないような言葉があっさりとのどを通る。普段のアリサに一番足りないアプローチはこの素直さだった。これさえ足りていれば、近いうちに証拠に戦闘中で極度に集中しているなのはをして、しかも正気でないと分かっているのに、今にも泣き出しそうな顔にはどきりとしたのだ。もし映画館を出てすぐのタイミングだったならばどうなっただろう。

「アリサちゃん……」
(なのは、急いで!!)

ユーノの悲痛な叫びが現実に引き戻す。
そうだ。こんなところで手間取っている場合ではない。ジュエルシードを封印するしない如何に親友の命がかかっているのだ。
木の根はどんどん寄り集まりその拘束を強めている。もう力押しでは間に合わない。ならばジュエルシード自身に開放を促す必要がある。どうやって? ジュエルシードに意思はない。おそらく発動した人間の意志が最も強い命令権を持っている。ならばアリサを説得するのが早道なのではないか。
いかに目的を達成するか、という考え方でとるべき行動を導き出す。
迷っている暇はない。ゲームのようにポーズ機能はついていないのだ。

「ねえアリサちゃん、私はどこにも行かないよ」
『……ほんと?』

アリサの顔がぱぁっと明るくなる。

「うん。だけど今はすずかちゃんを助けないといけないから、その間だけ少し離れないといけないの」

それを聞いたとたんにアリサの顔は沈んだ。手持ち無沙汰に人差し指を唇にあて、きょろきょろ視線をさまよわせる。
精神年齢まで後退しているようだ。

『すずか? すずか……でも、なのはぁ……』

突然出てきた親友の名前にうろたえる。呼応して木の根の拘束も緩んだ。
いける。なのはは確信を得た。残るは最後の一押しだけだ。

「大丈夫。アリサちゃんが捕まえなくても、私はどこにも行かないよ」
「だから、ね?」

打算的に、かつ感情的に、私の大事な友達にふさわしい微笑を。

『あ……』

なのはが普段から不断の努力でなんとかしようとしている男っぽさ絶無の可憐な容姿が花のように微笑めば、それはもう必殺だ。この微笑に堕とされた青少年が何人いることか。
聖母のような慈愛に包まれて、アリサは意識を失った。同時に願望が消え失せ、媒体として能力がなくなる。
ジュエルシードはアリサの手の中から逃れて繭の外に出てくる。新しい宿主を探しているのだろうが、致命的なまでに無防備だ。所詮は願いをかなえることだけが目的の宝石もどき。戦いは力押し以外できないようだ。
木の根の縛りはすでに無意味なレベルにまで低下していた。押さえつけようとする力は消えてなくなり、なのはの両腕は自由を得る。

「今だっ……! ジュエルシード、封印!!」

レイジングハートから放たれる桜色の光水。
シューティングモードがスナイパーライフルなら、これはショットガンに分類されるのだろう。半径1mの射撃面がジュエルシードに達した光景は、当たったというよりも飲み込んだ、だった。
時間がなかったので消費を無視して出力を上げ、一気にジュエルシードを押し込む。二秒もしないうちに抵抗はなくなった。

魔力の供給源を失って、巨木はあっという間に光の粒子になっていった。支えがなくなり、意識を失ったまま落下していくアリサを抱きとめる。
かわいらしいアリサの寝顔をこのまま眺めていたい気分だったがそうもいかない。すぐに次のターゲットに視線を移す。
なのはがもうひとつの封印をしている間に、巨木はますます成長していた。コアとの間を数え切れないほどの根がさえぎりあらゆる物の接近を拒んでいる。
距離は1km以上。大分離れてしまっている。

(あと三十秒を切ったよ! ほんとに間に合うの!?)
「間に合わせなきゃいけない」
(でもあれだけ根が邪魔すると、もう接近も遠距離射撃もできないんじゃ……)

ユーノの心配は正しい。近づこうにもなのはの反射神経でも根をすべて避けることは不可能だし、すでに魔力は半分以下、射撃で封印しきるのは分の悪すぎる賭けだ。
しかし迷いはなかった。

「だから接近して、撃ち抜く」
(ええっ!?)
「レイジングハート、シューティングモードへ移行。ターゲット、前方ジュエルシード! カウント10、スタンバイ!!」
『All light.』
「十秒で、終わらせる」

一度地面降りてアリサをビルの柱によっかからせると、再び上昇して正面から巨木を見据える。
ショットガンでは距離が足りない、ライフルでは威力が足りない。ならば自らが弾丸となり、食い込んだところで止めを刺すまでだ。
レイジングハートを突き出して構え、その先端にほとんどの魔力を廻す。残った魔力は足に集中。意識を保つギリギリまで魔力を搾り出した。

あとは―――突撃。

「カウントスタート!!」

景色が吹っ飛んだ。
あまりの速度に反応できていない根をごぼう抜きにしながらジュエルシードへの距離が縮んでいく。

『9,8,7...』

進路上にあったいくつかの根は貫いた。粒子になって霧散するプロセスすら与えられずに、接触した次の瞬間、消し飛ぶ。

『6,5,4...』

根に絡みつかれたリムジンの中、ユーノは気を失ったすずかのひざの上で呆然としていた。
あまりにすさまじい威力だ。あの根がそれなりに腕の立つ魔術師だったとしても突進を止めることはできないだろう。1kmを超えていた距離を十秒で詰めてきている。時速に換算すれば400kmに迫る速度である。
封印のために威力を重視してこれだ。きちんと訓練した上で速度に魔力を傾ければ、使用すれば音速を超えることも苦ではあるまい。
ユーノの中でなのはの評価は非常に高い。だがそれでも足りないのは今の様子を見てよく分かった。

実は自分はとんでもない逸材を見つけてしまったのではないか?

魔力が底をつきかけていることも忘れてなのはに魅入るユーノの、全身の毛が逆立っていった。

『3,2...』

レイジングハートを握り締める。300mほど残りそうだった。問題はない。十分射程圏内だ。

『1』
「……ファイアッ!!!」
<br><br>
そして桜色の閃光が辺りを満たした。



――――――――――――――――――――――――――――――



「何とかなった、かぁ」

元の私服に戻ったなのはは、とあるビルの屋上でうーんと背伸びをした。夕風が二つに結んだ髪をなびかせる。
見つめる先にはオレンジ色に染まった海鳴市の中心街。ひびの入った道路やへし折れた街頭が少し目立ったが、逆に言えばその程度の被害ということだ。ジュエルシードの暴れっぷりに反して被害は少なかったようで、せいぜい土木建築業界を少しだけ潤わせて終わりだろう。
人的被害もなのは自身を除けば一切なし。それもユーノの治癒魔法でほとんど回復している。最初に発動したジュエルシードのコアになっていた二人も、記憶の混濁以外に症状はないようだった。
危機的状況は見事に挽回され、封印はこれ以上ない成功を収めた。

(一時はどうなることかと思ったけど。もう魔力もすっからかんだよ)
「よかったじゃない。いい加減ここらで役に立たないとユーノ君の存在意義が危ぶまれるし」
(……ああ夕日がまぶしいなぁ)

なのはの肩に乗ったユーノがたそがれる。目からこぼれた雫は心の汗だ。

「とにかく二人が無事でホント良かった」

すずかのリムジンはあの後すぐ開放された。運転手が先に目覚めていたので、アリサは彼に預けて家に送り届けてくれるよう言った。前後の記憶があいまいらしく少し混乱していたが、月村家専属の筋金入りのドライバーだ。頼まれたことはきっちりこなすだろう。

(最後までついていかなくて良かったの? なのはだったら目が覚めるまで一緒にいるかなって思ったんだけど)
「そのつもりだったけど、言い訳考えてないから。それに魔力も空だし、回復しないとね。次のジュエルシードがいつ現れるか分からないんだから」

なのはらしからぬ発言にユーノは驚いた。
生死に関わる戦いをしたのだから、当然今までとは比べ物にならないくらい協力を拒否するものだと思っていたのだ。今回ばかりはユーノも引き止めるつもりはなかったし、これから一人でどうするかプランを立てつつあったのに。

(次も戦ってくれるの!?)

驚き七割、喜び三割で確認する。

「無視、無視で最後まで無視し続けられたらそれが一番なんだけど、そうも行かないみたいだし。問題が大きくなって”私の”周りが危なくなるようなら、芽から摘んだ方が早いから」

そのほうが被害が少ないというのなら、躊躇する理由は何もない。

「ジュエルシードを全部集め終わるまでは協力するよ。不本意だけど」

不承不承な承諾に過剰なほど喜ぶユーノ。
あまり感情を表に出さないでほしかった。ユーノが喜べば喜ぶほどなのはの気分は沈んでいく。

「まぁ、とにかく……」

うちに帰って寝よう。
これから多分、いや確実に忙しくなるのだろうから。

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