「ん〜ん〜♪」

鏡の前で鼻歌を歌いながら髪を整える。

「んんんんん〜ん〜ん〜♪」
(ご機嫌だね)

普段から世の中を皮肉っているような態度ばかり見せるイメージが強いユーノにとって、純粋に楽しそうななのはの姿は見てて意外だった。

「友達の家に遊びに行くのが楽しくないわけないよ。」
(そりゃそうだけど……いつものなのはなら「めんどくさいけど人間関係は大事だからね。それによって私にもたらされる利益を考えると仕方がないよ」ぐらい言うと思ったんだけど)
「あのね、私がそういう態度を取るのはユーノくんが本当に嫌いだからなの。友達と一緒にいることは素直に楽しめるよ」
(僕は当然のように嫌われてるわけだね)
「そういうの、愚問って言うんだよ」
(……ちょっとだけ泣いてもいいかな)
「やだよ気持ち悪い。あ、ちょっとそこどいて」

なのははこともなげに、机の上に準備してあったかばんの上に座っていたユーノを片手ではじき落とした。
床に顔面から落下する。
今なら涙でナイアガラの滝を作れるだろう。

「ああもうこんな時間! ほらいつまで寝っ転がってるの!」

さっきまで自分がしたことをリプレイ再生して欲しい。ユーノはじと目でなのはを見た。が、むこうは見向きもしない。
なんだか無性にむなしくなったので目線をそらすと壁にかかった時計が見えた。

(……まだ一時間近くあるじゃないか。すずかちゃんの家ってそんなに遠いの?)
「そんなことないけど遅れるのは駄目だもん」

当たり前でしょと言わんばかりのすばらしい笑顔。
その誠実さと純粋さを銀行の利息程度でもいいから振り分けて欲しかったりする。ありえないと分かっていても希望を捨てられないマスコットキャラの宿命であった。

一通り身支度を済ませて部屋を出ようとするなのはについていこうとして、

(ところでなのはって女の子みたいな格好嫌いなんじゃなかった?)
「当たり前でしょ。ただでさえ少し……」

表情が歪んだ。

「……かなり女の子に間違えられるのに、服装まで女の子っぽくしてどうするのさ」
(だよねえ)

服装を男っぽくしても「ボーイッシュな女の子」にしか見えないのが悲しいところだが。

「それがどうしたの?」
(いや……気にしないで。大したことじゃない)
「気になるよ」
(あのさ、その、髪型は例外なのかなと思って。女の子に見えるのは髪型も結構大きいんじゃない?)

なのはの髪型は肩まで伸びている髪を二つに分けて根元で結んでいる形である。長髪だけならまだ分かるが、結んでしまうと男の子っぽさなど絶無だ。

「……へえ。わたし、女の子に見える?」

なのはは不自然なほどすがすがしい表情で身震いするような殺気を放ってきた。可視光線じゃないかと勘違いしてしまうくらい強力だ。ユーノの動物的な本能と知性的な危機回避能力が全力で警報を鳴らした。

(な、なーんて冗談冗談!!! うん、なのははすごい男らしいよああははははは)
「ユーノ君、怒ってないから慌てなくてもいいよ。そんなことで怒ってたらまるでコンプレックス抱いてるみたいだし」
(あは、そ、そうだよねー!)

胸をなでおろす。もしなのはが殴りかかってくれば防御魔法などティッシュ一枚ほどの役にも立たない。本当ならば一般人の攻撃など魔法を使えば簡単に防ぐことができるはずなのだが、魔法使いとしても優秀ななのはにその理屈は通用せず、そしてなのはの打撃を直にくらうのは自殺行為でしかないのだった。

(ジュエルシードのことも協力してくれるらしいし、余計なことは言わないほうがいいよな。機嫌をとることが一番大事なんだから逆らっちゃ駄目だ。怖いし)

典型的ないじめられっ子のネガティブ思考そのものだがこれがユーノの限界だった。

これがもしなのはの姉が入浴中でなのはが見張っているような状況ならば、彼は第二次世界大戦中のドイツ武装SSに勝るとも劣らない英傑の行動力と不断の努力と不屈の精神力で使命を達成するのだが、残念ながら今は彼の漢魂を燃え上がらせる要素がない。
普段の彼はヤムチャかクリリンで言ったらヤムチャなのだ。

「じゃあそろそろ行くか」
「そうだね」

ユーノを肩に乗せてなのはが階段を下りると、やたらと男前な兄は玄関で待っていた。会いに行く人は違うが彼もお呼ばれしている。
だったら別々に行く必要もない。行く途中の暇つぶし相手ということで一緒に行く約束をしていた。
しかしなのははいつまでたっても歩き出さなかった。と思ったら方向を180度転換して家の中に戻る。

「……やっぱりまだ準備終わってなかった。お兄ちゃん、先に行っててよ」
「ん、どうかしたのか?」
「ちょっと忘れ物。すぐに追いつくから」

兄はふーんとつぶやくと、深く探索せずに家を出て行った。それを見送ってから部屋に戻るなのは。
不思議に思って聞いてみる。

(あれ、すぐに出かけるんじゃないの?)
「ちょっと髪型変えることにするよ」

苦笑い交じりの答えが返ってきた。



――――――――――――――――――――――――――――――



運動会では周回遅れすら余裕で取り戻す最終兵器と名高い俊足も、やはり絶対的な時間の壁は越えられなかった。家を出た時点で約束の時間を過ぎていたのだ。どうしようもない。
いろいろと豪華さがにじみ出る邸内を駆けていつものところへ。

中庭でテーブルを囲み、月村すずかとアリサ・バニングスがお茶を嗜んでいた。
アリサが気付いてこちらを向く。少し怒っているような表情だ。

「遅かったじゃない、なのは」
「ご、ごめんごめん」

謝りながら席に着く。

「なのはちゃんが遅れるなんて珍しいね。時間には厳しいのに」
「どうせ夜遅くまでパソコンでもいじってて寝坊したんでしょ」
「まぁそんなとこ、かな……」

髪をいじって遅れた、とは言えなかった。
髪ごときで遅れたということだけでどことなく恥ずかしいし、四苦八苦したにもかかわらず髪型はいつもと変わっていないのだ。言い訳だと思われて信じてもらえないだろう。
別にほかの髪型が思いつかなかったわけではない。ただリボンを解こうとしたらどうにも母の笑顔が浮かんできて手が震え実行を阻むのだ。
最近だんだん不安になってきたのだが、これはもう洗脳の域ではないだろうか。幼少教育はげに恐ろしい。

「だから夜はちゃんと寝ろって言ってるじゃない。小学生三年でフクロウ症候群なんて笑えないわよ」
「なるべく規則的に寝ようとしてるんだけど……」
「そう言いながらあんた、一日何時間くらい寝てるの?」
「え〜と……三時間くらい?」
「人間じゃないわよ」

そうは言っても、これだけ寝れば最低限活動できるのだから仕方がない。
脳の回転は鈍るが日常生活には支障をきたさないレベルだった。

「秘訣とかあるの?」
「う〜ん……」

すずかに聞かれて考えてみる。
たまに栄養ドリンクを用法用量なんかクソ食らえな勢いでがぶ飲みすることはあれど、あれは三日以上睡眠がない極限状態でなお徹夜したい時にのみ実行する禁断の技だ。四八時間経つと数倍の睡魔に全面攻撃される諸刃の剣でもある。
ほかには特にこれといって気をつけていることはない。

「気の持ちよう、かなぁ。何かしたいと思ってると自然に眠たくなくなるんだよ」
「珍しいわね、なのはが精神論だなんて。根性とか気合とか信じてないのに」
「まるっきり信じてないわけじゃないよ。だけど科学的な根拠は絶対にあるって思ってるだけ」

アリサはウェイトレスのように両手を水平に挙げて首を左右に振った。いわゆる外人の『Oh,no!』のポーズである。

「夢がないというか老けてるというか……それにあんたね、そんな無理してると健康に悪いわよ」
「そうだよ。せっかく可愛いんだから、お肌のこととかも考えないと」
「あはは、ありがと」

口ではお礼を言っても素直に喜べなかった。可愛いとかお肌とか、言われてもあんまりうれしくない。っていうかこれで言ってくる相手がユーノだったら引きちぎって晒して天日干しにしたあと地獄の業火で灰まで燃やし尽くしているところだ。

「まったく、女の私たちでも嫉妬する可愛さよね。神様もきちんと仕事やって欲しいもんだわ」

堂に入った姿で紅茶を飲みながら追い討ちをかけるアリサに、なのはは反抗心を刺激された。
アリサとすずかは親友だ。だから他人に比べて怒りのボーダーラインがずっと低い。だけどぜんぜん怒らないとか何を言われても笑っているとかそういうことでは決してない。怒るときは怒るのだ。最高レベルでも「めっ!」としかる程度の他愛のない怒りだが。
今のなのはは怒っていた。どれくらい怒っているのかというと格闘ゲームではめ技を止めろといわれても止めないほどの怒りだ。ちょっと意地悪くなのである。
なのはは普段は言わないような台詞を狙ってわざと言ってみた。

「そうかな? アリサちゃんは凄く可愛いと思うよ」

ここで止めれば少し顔を赤くして文句をいう程度だっただろう。アリサも最低限の免疫はある。
だが次の台詞がまずかった。

「もう私がお嫁さんにもらいたいくらいだもん」

わずかな沈黙。
次の瞬間、アリサは盛大な霧吹きと化した。

「……あっつ……………………!!!」

自分から仕掛けておきながら予想外の過剰な反応に対応できず、口に入ったばかりの熱々な紅茶がなのはの顔面に直撃した。デジャヴのようなものを感じながら言葉にならない叫びを上げる。
が、それ以上にアリサが大慌てだった。

「お、およめ……ああああんたね、そういうことを軽々しく口に出さないでよ!!」
「そ、そういうものなの?」
「そういうものなのよ! 大体あんたに言われても嫌味にしか聞こえないの!!!」

なのははハンカチで顔を拭きながら首をかしげる。アリサはこれで相当豪胆な性格で、学校で可愛いとほめられても軽く流していた。照れるなんて全く期待していなかったのに。

「ほら、可愛いのならそこにもいるでしょ」

赤くなった顔を誤魔化すためアリサは話を振った。

「ふふふ、二人にはかなわないよ」

柔和な表情で受け流すすずか。
ここまではいつもの事だった。なのはがいつもより少しだけ踏み込んだが、アリサの思いに気付かずアリサもアリサで素直になれず、それを一歩引いたところで見るすずか。という図式である。
しかし今日のなのはは一味違った。ビギナーズラック的な要素もあったかもしれない。鈍いからこそ自然に出る会心の一撃もあるということだ。

「なに言ってるの、すずかちゃんだって凄く可愛いのに」

ガシャーン。
すずかの持っていたティーカップが落下した音だった。こぼれた紅茶が太ももにかかる。
すずかは二秒間彫像のように固まった後で、思い出したように熱がった。

「あつっ!!」
「うわわわわ大変! 早くふかないと!!」

なのはがイスから降りてハンカチをあてがおうとすると、すずかが慌てて手で制した。

「へ、平気だよ。自分でできるから」
「でも急がないと染みになっちゃうし」

躊躇なくテーブルの下にもぐりこみ、すずかの太ももをハンカチでぬぐう。陰になってよく見えなかったために適当に拭いていると、びくりとすずかが身震いした。

「あっ……だめ、そこは……」

内股をなでられるいいようのない人差し指を甘噛みしながら頬をほんのり染めて震えるすずか。しかし声が思ったように出ず、なのはの手が更にまずい場所に忍び込んでくる。
念のために再確認するが、なのはにはなにも見えていない。

「すずかちゃん、ちょっと足を開いてくれる?」
「え? わ、分かった……んんっ!!」
「うわ、びしょびしょだ。これは脱いで洗ったほうが早いかも」
「な、なのは……きゃんっ! ん、はぁ……!」
「もうちょっとだからね」
「んん……! だめ、それ以上するとまた濡れて」

「いい加減にしろぉぉおおおお!!!」

きちんと金属製のとめ具で固定してあったテーブルを細腕でひっくり返したアリサは、呆然とするなのはの側頭部に武道家の見本となるような美しい回し蹴りが炸裂させた。なのはの後の言によれば「鉄筋がものすごい速さでぶつかってきたかと思った」だそうだ。
なのはは頭の中がシェイクされてカクテル状態になり受身も取れないまま空中で側転し、横からの加速も収まらないうちに脳天から落下した。首が左に折れ曲がってミシミシ音をたて、限界寸前であることを訴える。
おまけに狙いを定めたとしか思えないポットが精密爆撃を仕掛けてきた。もちろん中身は満杯同然だ。
沸騰寸前のお湯がなのはの頭をゆがす。泣きっ面に蜂とはこのことを言うのだろう。

「……!! ……!!!」

なのはは地面を右に左に転がりながらえびになったり団子虫になったりを繰り返し、唐突にぴくりとも動かなくなった。機能回復には彼をもってして43秒を要した。
今度はいくらなのはでも怒った。普段とは違うキャラだと言われようが突っ込みモードで突貫する。

「なにするんだよアリサちゃん! 死んじゃうよ! きれいな川の向こう岸が見えたよ! 熱殺で毛根死滅しちゃうよ!! 毛根の文化大革命だよ!! この仕打ちはなに!? 私がなにかした!!?」
「分かっててやってたら今すぐ締め落としてるわよ!!!」
「う……そ、そんな理不尽な……」

なのは攻勢は即終了した。アリサ相手では強気で出れないのを考慮してもなかなかの情けなさっぷりだ。実はユーノあたりからヤムチャ成分が感染してきているのかもしれない。

「……ああもう、分かってないのにこのエロさはなんなの……?」
「エロ? ゲームの新しい魔法か何か?」
「あんたは黙ってなさい!!」
「へぷろぁ!!!」

手近にあった木製のイスで叩き伏せられる。さすがのなのはでも意識が強制シャットダウンされそうになった。暴走体と戦っている時より命の危険が迫っている気がするのはどうなんだろう。
というかあの会話でそっちの方向の想像ができる小学三年生というのは、アリサも見かけによらず耳年増である。それを言ったらすずかは更に上を行くのだが。

「と、ところでユーノ君は?」

上気していた肌を早業で落ち着かせたすずかが場を仕切りなおすように聞いてくる。
なのははユーノもつれてくると言ったのに、どこにもその姿はなかったからだ。アリサに命令されてひっくり返った机を元の位置に戻しながらなのはは答えた。

「ああ、猫と遊びたいみたいだったからそこで放してきたんだ。今ごろ一緒に遊んでるよ」

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