「……」
「……」
「あの、二人とも、さっきのは間違いで」
「……」
「……
「あの、」」
「「話しかけないで」」
「うぅ……」

二人の冷たい対応になのははうなだれた。
無視はいじめの中でも最も相手の心に傷を負わせるとはよく聞く話だが、ぼこぼこに殴り倒され生死の境をさまよった上で無視されるというのはいかほどのものか。
ユーノという変質動物から守ったのにこの仕打ち、理不尽と思わずにはいられない。それでも悪いのは圧倒的に自分なので文句も言えない。ここは謝り倒すしかないだろう。

「待ってよ、お願い、話を聞いて……うわきゃ!!」

無言で足を速める二人を全身を引きずるようにして追いかけるなのはの姿は実に哀愁が漂っていた。二股をかけた男が両方の彼女に愛想をつかされた時、その彼は今のなのはと同じような行動を取るのではないだろうか。
やがて着ていた浴衣を足で踏んづけて転倒するなのは。二人は一瞥もくれずに部屋に戻っていく。

「あぅ……この仕打ちはひどすぎるよぅ……」

つい先ほどユーノに加えた制裁を時間の果てまでブーンとワープで飛ばしつつ嘆き、床に寝そべってさめざめと涙を流す。
なかなかに哀愁を誘う姿だ。今にチャララ〜、チャララララ〜ラ〜とかいう悲劇のBGMが流れてきそうな感じである。

「しくしくしく……」

そんななのはの姿を廊下の影から見つめるひとつの影があった
オレンジ色の長髪の、平均値をはるかに上回るプロポーションを持った女性だ。それでいて要所要所は引き締まった無駄のない体つきは、剣術の達人である高町美由希に近いものがある。
彼女の名はアルフといった。先日なのはの容赦のない奇襲を喰らい敗北した魔導師、フェイトの使い魔である。

「……」

沈黙を守って気配を消し、魔力によっても気付かれないように念入りに術式を組み上げ念話を開く。相手は無論、彼女の主だ。

(フェイト、見つけたよ。高町なのはだ)
(そう……あの子もこのあたりにジュエルシードがあるって気付いたのかな?)

フェイトが今いる場所は旅館の敷地内、というほどではないにしろそれなりに人の手の入った森に流れる川のそばだ。すでに場所の見当は付いていたのを、今しがた完全に捕捉し、封印しようとしたところだった。そこに周囲を警戒していたアルフから高町なのはが近づいているという報告を受け、急遽計画を変更していた。

(どうだろうね。だけどジュエルシードを探す気配もないし、大丈夫だと思うよ。……っていうか)

情けない嗚咽を繰り返すなのはを見やり、

(思ってたのとずいぶん違うな……フェイトの記憶を見る限りもっと冷たい感じの奴だと思ってたんだけど)
(今は違うの?)
(うん)

まるで別人だと、アルフは念話だというのに頷いてしまった。どんな理由で友達に無視されているのかは知らないが、今のなのはからは攻撃的な気配など微塵も感じられない。頭を小突けばそのまま倒れて涙ぐむのではないだろうか。そんな印象すら受ける。

(でも油断しちゃだめだよ)

フェイトは念を押した。人を信用できないことは悲しいことだという自覚はもちろんあったが、同じ失敗を繰り返すことの愚かさも重々承知している。敵意には敵意でしかこたえられないこともあるのだ。
アルフもそんなフェイトの心をよく理解していた。

(分かってるよ、フェイト)

殺人犯を殺人犯と普段から見分けることができれば苦労はしない。
自分の油断でフェイトが傷つくことを二度と許すつもりはなかった。
少なくともすぐにアクションの起こすつもりはないらしいので、離れたところから観察することにして、アルフはその場から歩き出す。
向かう先は……温泉。

(じゃあ私は温泉に入ってくるよ)
(……え?)
(どうせフェイトが動くまであっちも動かないだろうし、あいつらが帰るまで待ってたほうがいいと思うんだけど……ダメ?)
(ダ、ダメってことはないけど……うん、そうかもね。そっちの方が確実にジュエルシードを手に入れられる)

なのはがジュエルシードのことについて知らないならば、このまま帰ってしまうまで待っていればいい。

(それにしても、アルフってお風呂とか温泉好きだよね)
(そりゃあせっかく来たんだし、少しは味わっておかないとね)

悪びれずに言うアルフの頭にひとつの案が浮かんだ。

(……そうだ! フェイトも一緒に入ろうよ。最近はシャワーばっかりだっただろ?)
(えっ……でも……)
(疲れを取らないと勝てる勝負にも勝てなくなるよ)

アルフの誘いにフェイトは少しの間逡巡したようだったが、やがて暖かな感情と共に答えが返ってきた。

(うん、そうしようかな)



――――――――――――――――――――――――――――――



スパン! スパン! スパン!

「……ふっ」
「……あっ」

スパン! スパン! スパン!

「く……ア、アリサちゃん、もうだめ……ゆるして……」
「まだまだ、だめよ……! ちゃんと、リズミカルに、動い……て!」

スパン! スパン! スパン!

「うぅ……ほんとに、限界……っ!」
「しかた、ないわね……っ! だったらあと、5回したらいいわよ!」
「わ、わかったよ……いち、にっ、さんっ、しぃ……」
「ごっ……!」
「……あぁあああああ!」

<br><br><br>

コロンコロンコロン。

<br><br><br>

「ふー、いい汗かいたぁ!」
「……し、死ぬ……」
「二人とも、お疲れ様」

およそ300回あまりの高速ピンポンラリーを終えて、なのはは崩れ落ちた。すずかがボクサーのトレーナーのように肩にタオルを乗せる。
せっかく温泉に入ったのに汗ダクダクだ。いい汗をかいたというのは否定しないが物には限度があると思う。決して浴衣を絞るとぽたぽたたれてくるほどの量をいい汗とは言わないだろう。
もっとも滝のような汗をかいているのはなのはだけで、アリサの方は温泉で体の中に溜まった熱を思う存分発散したのか、非常に清々しい表情をしている。
アリサは天井に備え付けられた扇風機の下で屍となったなのはを見て笑った。

「なによなのは、だらしないわね」
「すずか、ちゃんの、キャノンサーブを、300回、返した上に、アリサちゃんのスマッシュ乱発も、同じ数を、返したら、人間だれでも、こうなると、思うよ……」

卓球は、真剣なスポーツとして行うならば非常にハードなスポーツである。が、素人の、それも小学三年生同士の対戦など可愛いものであろう。そうであるべきなのだ。
だがなのはの常識は脆くもバンカーバスターで基盤ごと木っ端微塵にされた。
まずすずか。
結論から言えばあれは卓球ではない。
あの可愛い外見にどれだけのパワーが秘められているというのか、野球ボールでも返しているかのような衝撃がラリーのたびになのはを襲った。
いっそ鉄球でラリーしているとでも思わなければやってられない。ピンポン玉というのは打ち返したラケットのゴム面を熔解させ、持ち替えた二枚目のラケットを根元からへし折り、流れ弾が自販機の制御中枢を狂わせ山ほどジュースを吐き出させたりはしない。
その対すずか戦を命からがら終えた後、こんどはアリサによる高速スマッシュラッシュが襲い掛かってきた。
彼女の弾はとにかく速く、どこに来るのか分からない。それなのになのはから攻めることはできず、全身を使って右に左に飛び跳ねまくった。
風呂場の私刑のダメージもろくに回復していない体調でこの重労働は堪えた。何が悲しくて温泉地まで来て鉄人トライアスロンをしなければならないのだろうか。
近年まれに見るほど不機嫌になった二人に許してもらうためひたすら謝り倒していたら、じゃあこの怒りを紛らわすために付き合いなさいと言われるがままにピンポン玉を打ち合うことになったという経緯から考えるに、やはり一番の元凶は女湯をのぞきに行ったベタすぎる助平のユーノであろう。
しかしフェレットが覗こうとしていたのを阻止したなどと言い訳したところではいそうですかと納得するはずもない。なのはに出来ることはなるべく早く二人の機嫌を取ることだけなのだ。

「の、のど渇いた……」

のどが焼けるように熱く、口の中はカラカラだった。流れ弾から免れた自販機まで這いずり、ゾンビのように寄りかかってお金を入れてコーヒー牛乳のスイッチを押す。もはやなのはを癒してくれるのはこの80円の茶色い飲み物だけである。
がたんごとんと派手に音を立てて出てきたのは紙パック入りのタイプだった。なのはのイメージではコーヒー牛乳は牛乳瓶で飲むものだったが、今は喉を潤してくれればどうでもよかった。銀紙の口にストローを刺すのをもどかしく思いながらも一気に突き通す。

「ちゅー……ちゅー……っぷはぁ、生き返るぅ〜」
「あ、私はただの牛乳ね」
「私はアクエリアスで」
「あ、うん」

ぽいと投げられた100円硬貨二つを自動販売機に投入してスイッチを押し、出てきた二つの飲料を手に二人の下へ。
どこからどうみてもパシリであったが、特に思うところもなくこれをやってしまうあたり、なのはの目指す漢への道のりはまだまだ遠いだろう。

「二人とも、もうちょっと手加減してくれてもいいと思うんだけど」
「ふん、なにバカ言ってんのよ。あれだけのことをしておいて……」

そこでアリサは言葉に詰まり顔を赤くした。すずかも俯いて顔は見えないが、髪の間から覗く耳が真っ赤だ。”あれだけのこと”を思い出しているのだろう。
なのはの頭の中でもそのときの情景と指の感触が鎌首をもたげ、次第に頬が熱くなっていった。これではユーノと変わらないではないかと自分を責め、忘れろ忘れろと念じ続けるが、あまりに鮮烈に刻み込まれた記憶はおそらく死ぬまで消えることはないだろう。

「あ、あれだけのことをしておいて、これぐらいで許されるとは思わないでよね! 今度なにかおごってもらうから!!」
「そんな……今月結構ピンチなんだけど」
「そういえば欲しいゲームあったっけ」
「すずかちゃんまで!?」

涙目になるなのはにちょっとした嗜虐の快感を抱きつつ、実のところアリサはなのはを許しつつあった。
見られたり触られたりと語るのもはばかられるほど恥ずかしい目に遭ったことは確かだが、あのなのはが自分の裸を見るために女湯に乱入してきたと考えると、なぜか変な感情も生まれてくるのだ。
一番気に入らないのは裸を見られたことではなく、同じような目にすずかも遭っていること。そして風呂場でなのはの視線が右往左往していたことだ。
なによ、私だけじゃ足らないってわけ? とアリサ自身もよく分からないような怒りに燃えていた。

でも、もし他に誰もいない、すずかもいないところであんな真似をされたら……私は拒絶できた?

「そ、それにしてもここ、ずいぶん設備が充実してるわよね。ビリヤード、ダーツに麻雀まであるし」

18歳未満閲覧禁止になりそうな自分の妄想を誤魔化すように、旅館の遊戯室を見回しながらアリサが言った。
もちろんどれもが無料で使用できる施設である。

「やってみる?」
「やめとくわ。ダーツはすずかが強いし、ビリヤードはなのはに勝てないし、麻雀は私だけできないし」

以前月村邸でどれもやってみたことがあったが、一度としてアリサが勝てた試しはなかった。なのはとのビリヤードなどは一度も出番が回ってこないうちに全部の玉が落とされたのだから、つまらないことこの上ない。
勉強、スポーツといった”まともなもの”は三人の中で終始アリサがリードするのだが、遊びの類になると二人の強さは異常だった。特にアナログのテーブルゲームをすずかは得意とし、なのははテレビゲームを得意とする。
これは両親がいてかつ活発的なアリサに対して、家族とのふれあいが少なく内気なすずかと、家族が忙しく一人でいることが多かったなのはが一人遊びに傾倒した結果であった。
アリサもそんな二人の強さの理由に感づいてはいたが、別に同情はしないし(それは二人に失礼だと思っている)、どんなものと引き換えに手に入れた強さだとしても、そう何度も何度も負け続けでは楽しくない。

「そろそろ部屋に戻りましょ。夕食は六時からって言ってたから、三時間もあれば人生ゲーム一回でちょうどいいし」

そんな三人が伯仲の勝負を演じることができる数少ない遊びのひとつが人生ゲームであった。双六系のゲームは運によるところが非常に大きく、経験によって強さに大きく差が生まれない。
すずかとなのはの二人もアリサを負かすことが目的ではないので、単純に楽しむことができるこのゲームは三人の遊びの定番だ。

「うん、賛成かな」
「この前は負けちゃったけど、今度はそうは行かないからね」
「あはは、お手柔らかによろしく」



――――――――――――――――――――――――――――――



「……むっきいいいいい!!!」

しかし今日のアリサは運の女神に嫌われたとしか思えないほど出目が悪かった。
ルーレットが示した数字は5。それにしたがって赤色の車を進めると『株価大暴落! 株券×20000$の損失!』という、マップの中でもトップクラスのマイナスイベントにぶつかった。
株券は基本的に持っていれば最後に得になるので、アリサもあわせて4枚購入していたが、そのおかげで80000$が吹っ飛ぶことになる。
思えば最初の職業選択の際、弁護士にこだわったのがいけなかったのだと思う。会社員になっておけば安定収入が得られたものを、10の目をだして就職ゾーンを一気に抜けてしまったのだ。かくしてアリサは月収はルーレットで出た数×1000という安月給のフリーターになってしまった。

「お、落ち着こうよ。ほら、所詮ゲームだし」
「分かってるわよ! 払えばいいんでしょう払えば!」

アリサは自分の持ち札をかき集める。ゲームも終盤だというのに20000$札が二枚、10000$札が三枚、その他もろもろで全財産である。

「……ない」
「え?」
「……足りないっつってんのよ悪かったわね!」

銀行から約束手形を一枚むしりとり、損失分に当てる。すずかがその様子を見てくすりと笑った。

「株で失敗して借金……プッ」
「な、なによ! 仕方がないでしょルーレットなんだから!! 言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ!!」
「別に〜? さっき100000$取られたことなんか全然気にしてないよ〜?」
「ぐっ……!」

すずかは誰がどう見ても、さっきアリサが止まった『プレイヤーのうち一人から100000$もらう』のイベントで自分が選ばれたことを根に持っていた。
このマスはアリサが止まった唯一と言っていいほどのラッキーイベントだったが、どうやら運命の女神様は時間差攻撃がお好きなようだ。持ち上げてから一気に落としたほうが人はダメージを負うのである。

「ほら、次なのはの番よ!」
「う、うん」

アリサの気迫に冷や汗を垂らしながらルーレットを回す。針が弾かれるジイイィィィィという音。やがてルーレットは8で止まった。

「いちにーさんしーごーろくしちはち……えーと、何々? 『油田発見。150000$銀行から貰う』だって」
「……」
「あ、あははは、うれしいな〜」

冷や汗を垂らしながなのはは銀行から白い100000$札と50000$札を取った。アリサの視線が痛い。痛すぎる。

「……あの、ちょっとお金あげようか?」
「同情も金もいらないわよ!!!」

なのはの気遣いはアリサの心を余計惨めにしただけだった。

「まだまだ逆転のチャンスはあるわ!」

アリサは自分を鼓舞する。人生ゲームは終盤にビッグイベントが満載されているのだ。さっきのなのはのように、莫大な金額が転がり込んでくることがある。マイナスもふり幅が大きいためリスクもあるが、これまで散々損をしてばかりだったのだから運の貯金は十分なはずだ。

「『億万長者の老人を助け、謝礼に30000$貰う』か。はい、次はアリサちゃんだよ」
「言われなくても! 3か6、3か6、スリーオアシックス……たぁああああああ!!」

ぶつぶつ念じながらルーレットを回す。ちなみに3は『海賊の財宝を発見』で、6は『画期的な新発明』。それぞれ150000$と200000$が手に入る大イベントである。これさえ当てれば逆転も夢ではない。
アリサの針のような視線を受けてルーレットは徐々に動きを緩め、やがて止まった。

「……4?」

アリサの目がそのマスに動く。
曰く『月に旅行に行く。300000$払う』。

「……散歩行ってくる!!!」
「あ、ちょっとアリサちゃん!?」

なのはが止めるのも聞かず、アリサは部屋の外に出て行ってしまった。
すずかは苦笑する。

「ちょっと意地悪しすぎたかな……っていうより、運が悪すぎたね」
「うん、まぁ、あれだけ不幸が重なるとゲームやめたくなる気持ちも分かるかな」
「どうする? アリサちゃんなら一人で立ち直れると思うけど」
「いつもならそれでいいんだけどね」

なのはは壁にかけられた時計をちらりと見た。短針はもう間もなく完全に6を指そうとしている。
早く教えられた広間に行かなければ夕食から一人あぶれることになってしまう。

「あの調子じゃ多分忘れてるだろうし、呼びにいかないと」
「ふふ、仲間はずれにされると怒っちゃうもんね」
「そういうこと。すずかちゃんは先に行ってて。私が呼んでくるから」
「うん、わかった。私がいないところで二人で変なことしちゃだめだよ?」

目を細め、人差し指をなのはの唇に乗せてすずかは言う。アリサならば顔を真っ赤にして慌てるところだが、なのはは落ち着いた風な態度を崩さない。

「さっきみたいに生死の淵を彷徨いたくはないからね」

言いながら小さく手を振って、なのはは部屋の外に出た。
この旅館は広いが複雑な構造はしていない。廊下は大抵が一本道なのですぐに追いつけるだろう。

(ああもうばっかじゃないの!!?)

とはアリサの自分自身に向けた叱責である。ゲームで負けてむつけるとは、どんな言い訳をしたところで子供以外の何者でもあるまい。
そうやって自覚することはできる程度に理性的であるアリサは、その狭間で羞恥と自己嫌悪の嵐にもまれながら当てもなく走っていた。しかも走りながら内心追いかけてきてくれないかな主になのはが〜とか思っていたり、そんなことを考えたことにまた恥ずかしくなったりと見事なまでに思考迷宮で迷いっぱなしだ。

「はうあっ!?」
「きゃっ……!」

そしてろくに前も見ずに全力疾走し続けるアリサが曲がり角で人にぶつかるのはある種の必然だった。

「ご、ごめんなさい! 前見てなくて!」

しりもちをついたアリサの目にまず入ってきたのは浴衣の間に除く白い布だった。

「あ、えと……気にしないでください」

それが一瞬何か分からず見つめ続けるアリサに、ぶつかられた相手は気まずそうに少しほほを染めて立ち上がった。
やっと自分が見ていたものが相手の下着だと気付いて、アリサも少し赤くなる。
手を差し出してくれたのでそれを握って立ち上がったが、やはりどうにも照れくさい。
相手は金色の髪をした可愛い女の子だった。容姿にかなりの自信を持っているアリサが反射的にそう思ってしまうほどだ。
そして相手の容姿を気にしてしまうと、不思議と下着を見たことも変に意識してしまうのだった。同性同士、裸で入浴することはできても、下着という微妙なアイテムには気まずさが伴う。

「……え、えと、外国の方ですか?」

嫌な沈黙を打破するために話しかけてみる。さっき気にしないでくださいと日本語で言ったことをすっかり忘れている質問だったが、

「は、はい。そんな感じです」

相手も気が動転しているようで、そんな曖昧な答えを返してきた。
そんな感じ、とはどういうことなのだろう。幼い頃外国に住んでいたが日本に移り住んで長いとか、両親は外国人だが日本生まれとか、そういったものなのか。
アリサが考えをめぐらせていると、後ろからなのはが追いついてきた。

「な、なのは?」
「アリサちゃん、さっきはごめんね。ちょっと調子に乗りすぎたみたい」
「別に……私が子供なだけよ。こっちこそごめん」

アリサは真摯に頭を下げる。なのはの手がアリサの肩に置かれた。

「そんな風に謝れたら十分大人だよ」
「……そうかな」
「そうそう。ほら、もう夕食の時間だし、大広間に行かないと」
「……うん」

なのはの言葉と笑顔には、自然に心を安らげる力があるような気がした。クラスの友達は口をそろえてなのはの笑顔はどうも不自然だと言うが、それならそれで、自分が特別だとすれば嬉しい。

「みんな結構食べるから、急がないとなくなっちゃ……」

しかしなのはの笑顔は次の瞬間凍りついた。視線をたどると、さっきぶつかった女の子が同じような顔をしてなのはを見つめていた。

「な、なんで……」

頭の中に浮かんできた言葉が自然に口から飛び出したようだった。実際アリサと衝突した少女、フェイト・テスタロッサの思考は一瞬停止していた。なのはがこの旅館にいることは知っていた。アルフからの報告も受けた。だがそんな下準備を無意味にしてありあまるほどあまりに衝撃的な再会だ。
加えてフェイトを思考停止に追い込んだ原因がもう一つあった。
目の前であっけに取られた表情をしているなのはが、つい先ほどアリサという少女に向けていた言葉の暖かさはなんなのか。
それは今のフェイトを支えている、記憶の底の母を髣髴とさせるような慈愛にあふれていた。同じ顔の別人ではないかという考えが当然のように沸いてきた。
あの時のなのはの表情がすぐにその考えを払拭する。この子に関してはもう何も信用しない。フェイトは二度も騙されるつもりなど毛頭なかった。

「……!」

後はなのはに背を向けて駆け出すだけである。目指すはめぼしをつけていたジュエルシード落下地点。なのはが旅館から去ってから封印するという計画が破綻した今、最優先すべきはジュエルシードの確保だった。戦闘になることは避けられないだろうが、ここで逃げてもフェイトが旅館にいることを知ったなのはがジュエルシードの捜索に乗り出すことは想像に難くない。この旅館周辺、というめぼしさえつけてしまえばジュエルシードの発見は難しいことではないから、どうせ戦闘をすることに変わりはなかった。
ならばなのはが不意を突かれている今のうちに戦闘に持ち込んだほうが、いくらか有利だろうとフェイトは考えた。気休めでもないよりはマシだ。
ゆれるフェイトの金髪を眺めながら数瞬の間動けなかったなのはだが、我に立ち返って床を蹴った。走り出したフェイトを目的地にたどり着かせることは、敵対しているなのはにとって好ましくないのは自明だったし、決着をつけることができれば今後のジュエルシード収集が比べ物にならないほど容易になる。
しかしなのはは思わぬ抵抗を受けて走り出すことができなかった。

「待ちなさいよ!」

アリサがなのはの右手を掴んで引き止めていた。状況がさっぱり飲み込めないとその表情が物語っている。

「あの子あんたの知り合いなの? ずいぶん驚いてたみたいだけど」
「え、えと……」
「なんであの子が逃げるの? なんで追いかけようとするの?」
「あの、それは……」

いつもならすらすらと嘘を並び立てられるなのはも流石に口ごもった。
早く追いかけよう。
まずアリサちゃんに説明するべきだ。
本当のことを教えられるはずがない。
不毛な論議が頭の中で繰り返されてなんら有効な手段を打てない。その間にもフェイトの背中は遠ざかり、角を曲がって見えなくなった。彼女の驚くべき俊足が混乱に拍車をかける。
いっそのことアリサの手を振り解こうとしたが、彼女は間接を的確に押さえていて容易に解くことができない。護身術にと教えたことが裏目に出ていた。

「ねえ、なのは!」

いつまでも明確な答えを出せないなのはにアリサはいらだった。いつもなら遊び道具でしかない狼狽ぶりが今は不愉快極まりない。
なのはが、
自分の知らない女の子と(それも美少女)、
自分の知らないうちに知り合い、
なにかただならぬ関係な雰囲気を漂わせ、
逃げた女の子を自分を放っておいてまで追いかけようとして、
あげく詰問すればあの、とかえと、とかろくな答えを返してこない。
不機嫌になる理由はこれだけあれば十分すぎる。

「ア、アリサちゃん、放してくれないかな? 理由はあとでちゃんと説明……」
「いま説明して!」

アリサはなのはがウソをためらわずにつける人間だということを知っていた。本音を聞きだすならば今しかない。
もっとも嘘をつくのは、それがアリサやすずかにとって不利益になると判断した時だけで、今までなのはが付いてきたウソは確かに知らないほうが楽だったことばかりだった。
アリサはそれが気に入らない。アリサやすずかの抱えている問題は是が非でも聞きだして一緒に解決してくれるくせに、自分のことは一人で抱え込んでしまうのが気に入らない。それはなのはに甘えていることになる。
それにこの問題が例外ということだってないわけじゃないのだ。いや、むしろ女の子に人気のある(モテる、とはいえないかもしれない)なのはのことだ、可能性は高い。
つまりなのはは秘密で美少女と仲良くなり、それを知られたくないから秘密にして……
その先は考えたくもなかった。

「ねえ、なのは!」
「だから、その……」

こんな押し問答で時間を消費している場合ではない。すでに十秒、フェイトは何の妨害もなく走っているのだ。
もう猶予はない。なのはは強攻策に出た。

「……ごめんね」
「いたっ!?」

手首をひねって逆にアリサの間接を極める。元はなのはが教えた技術だ。アリサが若干の苦痛を味わうことを許容すればはずすことなど造作もない。

「お母さん達には夕食遅れるかもしれないって言っておいて」

言うが早いか、なのはの身体は加速した。フェイトの速さは想像以上だ。急がなければならない。

「あ、ちょっと待ちなさい! なのは!!」

しかしなのはの背中は、計測すれば声よりも早いのではないかと錯覚するほどの速さで消えた。
なんでそこまで急がなきゃならないのよ。私達とご飯食べるよりもその子の方が優先ってこと?

「なんなのよ、もう……なのはのバカー!!!」

フェイトを追うなのはを追って、罵声は旅館を駆け抜けた。



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