宴もたけなわなのか、中からは笑い声やら叫び声やらが聞こえる。アリサの笑い声も混ざっているから楽しんではいるらしい。出来ればその笑顔が変わることのありませんようにとなのはは祈った。
ふすまを控えめな勢いで開く。

「ごめんなさい、ちょっと友達に会っ……て……」

普段から『良心? それって利用できるの?』という生活を送っているなのはの願いはどんな宗教の神にも聞き入れられるはずはなく、約1名の笑顔はそれはもう見事に変わった。怒りに。

「ああなのは、アリサちゃんから聞いてたわよ。悪いけど先に食べちゃってるけど」

同じ部屋の中で修羅が誕生したことなどつゆ知らず、酒でも飲んだらしく顔を少し赤くしている桃子が訊ねてくる。

「う、うん、別にいいよ」
「友達って学校のクラスメイトとかだったの?」
「違うみたいですよ。私は見たことない”女の子”だったし、あんな”可愛い子”は学年にもいないです」

ビックリするぐらい抑揚のない声でアリサが口を挟んだ。表面上は笑顔を絶やしていないが言葉の節々にトゲがある。胃は既に激痛を訴えつつあった。っていうかなんでそんな『女の子』とか『可愛い子』の部分だけ強調するんでしょうか。

「あっれ〜? なのはぁ、晩ご飯を後回しにしてまでその子と何やってたの?」

ニヤニヤしながら聞いてくる姉、美由紀。その一言一言がアリサの機嫌を絶望的なまでに損なっていくのがひしひしと感じられる。

「こ……べ、別になにも」

アリサのプレッシャーから解き放たれたい一心で、思わず「殺しあいを」と答えそうになったなのはは慌てて口を止めた。それがまた二人の額に十字路マークを浮かび上がらせることとなったのは不幸としか言いようがあるまい。
そのことに気付いたなのはは慌ててアリサのフォローを試みるが、もうなにもかもが悪い方向にしか作用していなかった。

「ほ、ほんとだよ!? ホントになにもしてないよ!?」
「なんでそんなこと私に言うのよ。私どうとも思ってないから」

食べている途中の蟹の胴体の殻を砕き散らかしながらではあまりに説得力のないセリフだった。指の間から漏れ出た蟹味噌がいろいろと連想させて恐ろしいことこの上ない。

「ほら、なのはの席はアリサちゃんとすずかちゃんの間よ」

逃げ道は塞がれた。今ならモンスターに回り込まれた勇者ご一行の心境がいたいほどに分かる。
足をガクガク震わせながら(戦闘の疲れのせいだ。と思いたい)座布団の上に腰を下ろす。
ちょっとした希望ですずかの方を向いてみたら、うん、なんというかこう、だめだった。

「はは、は」

周りでどんちゃん騒ぎをやらかす一行の中、なのはは全く安らげも楽しめもしないまま夕食を終えることとなった。



――――――――――――――――――――――――――――――



スーッと静かにふすまを開けてなのはが寝室に入る。
なのはが宴会場から戻ってきたのは日付が変わった少し後だった。できれば夕飯を食べた後すぐに眠ってしまいたかったが、あんな状態の2人と3人っきりになれば尋問が始まるのは明白だったので、2人が疲れて眠るまで待つことにしたのだ。
基本、健康的な生活を送っている2人は、夜が更ければふけるほど盛り上がっていく大人組みとは対照的に、猛烈な勢いで眠気が襲ってきたらしい。
11時頃にはまぶたを半分以上閉じているような状態が続き、それから三十分もしないうちに仲良くノックダウン。なのはが俗に言うお姫様抱っこで布団まで運ぶこととなった。ちなみにこのとき大人組みが大騒ぎしたのは言うまでもない。
それからお付き合いで酌をついで回ったりメイドの2人の話し相手になったりしている間にこんな時間になってしまったのだ。

「2人とも、寝顔は天使だよね……」

起きていても高レベルの美少女であることに違いはないのだが、少々活動的過ぎるきらいもある。最近は特に命に関わるレベルで活動的だ。もちろんその原因はなのは自身にあるのだが、それは彼女達のことを思ってやっていることであるのに、どうにも報われない悲惨さである。
そんな心労も2人の穏やかな寝顔を見ていると完全回復するのだから、案外本当に2人は天使なのかもしれない。

「おやすみ……」

慈愛の笑みを浮かべながらなのはは静かに自分の布団に向かった。とにかく今日は疲れた。早く眠りたい。
柔らかい布団の中に入るとなのはの意識は一気にまどろんだ。まるで2、3日徹夜した後のようだ。隣でジェットエンジンがアフターバーストしても眠り続けていられるだろう。
夢の世界と現実世界の境界が薄れていく。目を閉じると暖かい闇が安らぎを与えてくれる。

「……むにゃ……ん?」

しかしなんだろう。さっきからガサゴソと布団の中で何かが動いている。まるで何かが侵入してきたような―――


「なのは、聞きたいことがあるわ」
「―――うえっ!?」


なぜだろう、目の前には、これでもかというほどアップにされたアリサの顔があった。

「ごごごごごめん、布団間違えちゃった!」
「間違えてないわ」
「じゃあどうしてアリサちゃんが私の布団にむぐ!?」
「あんまり大きな声出さないでよ」


なのはは一気に冴えた頭で、となりにすずかが寝ていることを思い出した。こんな格好を見られてはなにをどうされるか分かったものではない。
口をふさがれたままで頷くと、アリサはゆっくり押さえ込んでいた手を放した。

「さっきはうまく誤魔化されちゃったけど、今度こそ何があったか話してもらうわよ
「何も誤魔化してなんか……」
「あんたって普段は嘘つくのうまいけど、一度動揺すると凄く分かりやすくなるわよね」

伊達に親友をやっているわけではないようで、なのはの弱点は熟知されている。動揺を誘うために布団にもぐりこんでくるなんていうとっぴな行動に出たのかと思い至ったが、いまさら後の祭りだ。

「と、とにかくいったん外に出るから」
「逃がすかっ!」

布団から這い出ようとしたなのはの身体をアリサがしっかりホールドする。腕と脚で輪を作られ筋肉の稼動範囲を狭められると、アリサの力でもあぶなげなく抑えることができた。
おまけに浴衣のような薄着でぴったり密着体勢になったものだから、背中に当たる小さいながらもやわらかい胸やその先っちょの感触、腰に巻きつく太ももの肌触りが46cm徹甲弾並みの破壊力でなのはの理性を削り取る。

「うえあ!?」
「こら、暴れるんじゃないわよ!」
「わ、分かったよ、暴れないからはやく離して!」
「怪しいわね……ホント?」

本当もなにも力一杯抱きついてくるアリサの足が色々とヤバイ部分に当たったりしている。こういう時に限ってなのはの女の子っぽさは少しも発揮されなかった。

「ほんとほんと、だから早く足を……はぁっ!?」
「ちょ、ちょっと、なに変な声出してんのよ……ん? なにこれ、なんかだんだんおっきく……」

アリサの両足の裏に挟まった何かは、なぜか妙に熱く、硬く、かつだんだん大きく――

「きゃあああああああああああ!!!?」

ドスッ。

「ィ――――――――――ッ!!!!!!!!!?」

それが何かに気付いたアリサは拘束を解くと同時に容赦のない蹴りを炸裂させ、なのはの中でなにかが吹っ飛んだ。直後どうしようもない痛みが責め立てる。この時ばかりはなのはも今まで行ってきた悪行を悔いそうになった。かろうじてプライドで我慢して、浴衣の襟を噛み、シーツを握りしめながら無言で耐え続ける。

「……うぅん……」

すずかがうめき声を上げた。ただ寝返りを打っただけだったが、さっきのアリサの悲鳴で大分眠りが浅くなったのだろう。これ以上大声を出したら目を覚ますのは確実だ。今の状態を目撃されるのは非常にマズイ。

「……っく……ぁ……はぁ……!」

時間の感覚を忘れるほどの苦痛もやがて緩やかに去っていった。
荒くなった息を整える。

「ご、ごめんなのは……大丈夫?」

全然大丈夫じゃなかった。冗談抜きで死ぬかと思った。本当に女の子になってしまうかと不安になったほどだ。
いくら親友相手でも、激怒して当然の激痛である。

「……う、うん……なんとか」

それでもアリサが心配そうに覗き込み気遣いの声を受けただけで、ワザとじゃないなら仕方ないかと思ってしまうのがなのはという人間だった。

「……ごめん」
「う、うん」

2人はいつの間にか微妙な距離を開けて、乱れた布団の上に座る姿勢になっていた。
互いに恥ずかしあって沈黙する奇妙な数秒が生まれた。なのはとしてはこの沈黙が続いたままうやむやに話が流れる事を期待したが、世の中そうは甘くない。

「あ、あの子誰よ?」

おずおずと遠慮がちながら、かなり強めの抗議も織り交ぜてアリサが問う。
一体どうやって答えよう。ただの知り合いがダメなら遠い親戚で通すべきか。その意見はすぐになのは自身が却下した。あの金髪はどう見ても日本系の人種ではあるまい。

「え、えと」

悩めば怪しく思われるのは分かっていたから、当たり障りのない回答を大脳を最速回転させて作り出そうとする。しかし一秒経っても二秒経っても妥当な答えは思い浮かばなかった。

「まぁ、それは別にいいわ」
「え?」

意外にも話はアリサのほうから終わりを告げた。

「でも聞きたいことはもう一つある。なのは、最近に何かやってるでしょ。それも多分……ちょっと普通じゃないこと」

それは質問ではなく、ほとんど断言だった。なのはは肯定以外の回答を望まれていない。だから頷くことはせずに口をつぐんだ。
無言の肯定。
それがアリサの堰を切った。

「最近変だもん。ときどき上の空になってるし、私達と一緒にいる時間もちょっとだけど減ったし、なんか疲れてるみたいだし……ねえ、教えてなのは。なにがあったの?」
「……」
「言えないようなことなの?」

そう、言えないようなことだった。言えばアリサはすずかと共になのはを助けようとするだろう。それは2人に”守られる”ということだ。
それだけは許容できない。もしなのは自身が最悪死ぬことになったとしても、2人が生きていればそれでいい。大好きな人たちが生きていればそれでいい。
そのためには自分が”守らなければならない”。

「……なのははいつもそう。自分のことはなんでも1人で解決して、私たちのことは守ってくれる。私達ってそんなに頼りない!?」

アリサは悲しそうな目をしてなのはの肩にもたれかかってくる。甘くて暖かい女の子の香りが鼻をくすぐった。上半身を預けられていると言うのに、重さはほとんど感じなかった。普段あんなに元気なアリサが、今はとても壊れやすいガラス細工に見えた。

「そんなこと」
「そんなことあるでしょ? たしかに私達じゃ何の役にも立たないかもしれないけど、私達……その、し、親友でしょ? ちゃんと話してもらいたいし、どんなことだっていいからなのはを助け」


「やめて!!!」


なのはは突然大声を上げてアリサの肩を乱暴に掴み、布団の上に押し倒した。アリサの着衣が乱れるが顔を赤くするようなこともない。アリサを見ていないから。

「いいんだよアリサちゃん、守ってくれなくて。ただ一緒にいてくれるだけでいいんだ。大事にしてくれなんて言わない、何かを望んだりなんてしない、そこにいてくれるだけでいい、いてくれるだけで、それだけで、私は!!!」

十分だ、と。
守られることは禁忌だった。あの時の全てを失ったような深い絶望がよみがえる。未だ抜け出せないトラウマが足を掴んで離さない。
守られて、失った。あんなことはもう起こさないと心に決めた。だから守るだけでいい。守られたくない。

「どうして!?」
「……っ!!」

気付くとほとんど泣きながらでこちらを見るアリサがいた。肩を押えていた手を乱暴に振り払われ、逆に詰め寄られる。
その表情を見てなのはの心の温度は一気に下がった。自分でも思っている以上に疲れているようだった。感情の押さえが利かなくなっている。

「ご、ごめん、ちょっと興奮しちゃって」
「興奮したから本音が出たってこと!? 私がなのはを助けようとしても迷惑なの!?」
「ちが、う……そうじゃな」
「じゃあなんなのよ!!」

ばちんとなのはの頬がなった。痛みはほとんどなく、頭の中はほとんど驚きで埋め尽くされた。
アリサが立ち上がって部屋を出て行く。その拍子に零れ落ちた涙がなのはの頬を濡らす。

「アリサちゃ……」

アリサの背中が追いかけようとするなのはをためらわせた。立ち上がりかけていたひざを折り、頭を抱えて布団に突っ伏す。自責の念に押しつぶされそうになった。もっと上手くごまかす方法はあったのだ。

「……なのはちゃん?」

その時時間が止まった。
同時に嫌な感じがした。後ろから激しい視線。ぽんと肩に置かれる小さな手。油の切れたブリキ人形のようにがたがたと首を九十度回す。
いらっしゃった。彼女が。

「なにやってるのかななのはちゃん」



――――――――――――――――――――――――――――――



フェイトはアルフの部屋に入った。仮住まいとしたマンションは非常に大きなものだったので、必要ないと言い張るアルフに無理やり押し付けたようなものだ。
だから部屋と言っても生活臭はまるでなく閑散としている。その中央にアルフはいた。

「アルフ、ご飯もって来たよ。いつものじゃちょっと硬いから柔らかくしてみたけど……食べれる?」
(うん)

普段は人間形態をとっているアルフだが、今はそんな余裕もなく犬の姿で床に伏している。
フェイトが持ってきた皿の上には少しふやけたドッグフードが盛られていた。生活時間のほとんどで人間形態をとっているアルフだが、元は犬なのでドッグフードは好物だ。下手な人間用の食事よりも栄養バランスが考えられていることもある。味わうという行為を捨てたアルフの食いっぷりにはこれで丁度いいとも言えた。

(う……)

だがやはり、いつものようにがつがつと食べることはできなかった。形態を変えてもダメージは回復しない。頭を更に近づけるだけでも体中が痛む。耐え忍んで一口飲み込めば、今度は胃が受け付けようとしなかった。なのはに何度も何度も続けざまに殴られ、挙句蹴り上げられた影響はまだ抜けていない。
それでも食べなければ治るものも治らないので、こみ上げてきたすっぱいものと一緒に気合で飲み込んだ。
次にこみ上げてきたのはなのはへの怒りだった。

(くそっ、あいつ私をいたぶって笑ってやがった! フェイトの時も……なんだって言うんだいあいつは!)
「高町、なのは」

あらためて口にする、最大の敵。一切の容赦のない攻撃と氷のような笑顔。

(結局またジュエルシードを取られた……私がもっとうまくやれば……!)
「まだ次があるよ」
(そうだけど……)

フェイトは気落ちしているアルフの頭を撫でてやった。

「その前にアルフは傷を治して。それまでは私1人で探してみるから」
(無茶はしないでくれよ)
「分かってる。でも少しぐらいはしないといけないよ。まだ1つもジュエルシードを手に入れてないんだから」

アルフは何も言えずただ尻尾を元気なく垂らして沈黙する。
フェイトは母の願いを叶えるために無茶をしなければならないという意味で言っていたが、アルフからすればそれはどうでもよかった。だが期待に答えることができなければ、あの母がフェイトにどんな仕打ちをするかは想像に難くない。それはきっとなのはに負わされた怪我よりも酷いだろう。

「それじゃあゆっくり休んでね。お休み、アルフ」

フェイトはスイッチを切って部屋を出た。
怪我は無いとはいえフェイトも今すぐベットに倒れこみたいほど疲れている。このまま寝てしまおうかとも思ったが、体中が汗や埃で気持ち悪い。一般的な社会知識がかなり欠落しているとはいえフェイトも少女だ。汚れを好まないのは当たり前である。
ふらつく足で自分の部屋のクローゼットから着替えのパジャマと下着を取り出し、不必要に豪華なバスルームに入った。パンツを脱ぐときに何度か転びそうになりながら服を脱ぎ捨て、蛇口をひねって暖かいシャワーをあびる。

「高町、なのは」

つぶやきがバスルームの中を反響する。
とても強く卑怯で容赦の無い、同い年くらいの魔導師。今までのなのはに対するイメージはそれで十分だった。
だが今日、突然遭遇したときのなのはの顔はまるきり別物。アリサという女の子に親しげに話し、笑いかけるその姿は、一度なのはの演技に痛い目を見たフェイトから見ても何の打算も感じられなかった。
その時のなのはは優しさにあふれていた。変わってしまった母から望んでやまないものが、あそこにはあふれていた。

「なのは……」

互いに死を突きつけあったあの時、フェイトだけを強く見据えていたあの瞳。

「なの、は……」

とても強く卑怯で容赦の無い、だけどとても優しい顔もする、強い瞳をした同い年くらいの魔導師。
ただ宿敵として純粋に抱いてきた敵意が、ほんのかすかに揺らいでいた。




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