ランニングを終えた美由希がいつもの練習をこなすために道場の引き戸を開けると、短刀を模した木刀を握って佇むなのはの姿があった。
道場の中の空気はしんと静まり、まるで真冬のように肌が痛む。

「あれ、なのは?」
「あ、お姉ちゃん」

なのはが美由希に気付くと張りつめていた空気は一挙に緩んだ。

「どうしたの? すっごい早起きさんだ」
「あはは、うん、ちょっと目が覚めちゃって」
「そうなんだ。なのはってあんまり朝の鍛錬しないからちょっと驚いちゃった」
「わ、私は夜にやってるんだよ……あれ? お兄ちゃんは?」
「うん……今朝は父さんと一緒に少し遠くまで走りに行ってる」

美由希は壁にかけられた木刀を二本手に取った。長さはなのはと同じものだ。なのはが美由希の戦闘形式に似たと言った方が正しいのであるが。

「あの……お姉ちゃんの練習、お邪魔じゃなかったら見てもいい?」
「あんまり面白い物じゃないと思うけど。それになのは私より強いじゃない」
「そんなことないよ」

今まで幾度となく美由希となのはは剣を交えている。戦績は美由希が圧倒的に勝っていた。最近になって、特にここ半年はどちらかというとなのはの方が勝率が良くなっていたが、やはりなのはの中では美由希の方が強いだろうという認識でいる。
父から言わせれば「どちらも将来は自分より強くなる」らしいのだが、父相手に歯が立たないなのはとしてはどうにも信用できない言葉だった。
最近手に入れた魔法という力を使えば父すらも倒せるかもしれないが、それはなにかが違う気がした。

「組み手でもする?」
「ううん……今はそんな気分じゃないんだ。ただ見てたいだけ」
「よく分からないけど……なのはがそう言うなら良いよ、別に」
「ん、ありがとう」

それから美由希は深呼吸を二度して意識を切り替える。ついさっきまでのように道場の中の空気が鋭くなる。
横薙ぎ、突き、回転して一撃。型を流れるように的確にこなしていく。

(なのは)
(……)
(どうしたの、こんな朝早く)
(……)
(ねえ)
(……)
(無視しないでよ!!!)

いきなり頭の中で怒鳴り声を上げられて、なのはの眉間に浅い皺が寄った。

(なに?)
(話しかけてるんだから返事くらいしてよ! 昨日も街に置いてきぼりにされて帰ってこれたの真夜中だったし!!)
(だからそれはごめんって言ってるのに。ユーノ君全然存在感がなかったんだもん)
(……真剣に傷付くからそういうこと言うの止めて……お願い……)

念話でシクシクと鳴き声が聞こえてくる。そうさどうせ第二期のOPだとフェレットの姿でちょっとでてきただけさとかいじけた声も聞こえてくる。
5分くらいそうして悲しみに暮れた後、ユーノはとりあえず別の話題を振ることにした。僕はこれから物事を前向きに捉える漢になるんだと意気込む。

(ところでなのは、これからどうするの?)
(どうするって……あの子の事?)
(そう、フェイトって子。事故とは言えあんなことがあった後だし、やっぱり気になる?)
(別にどうもしないよ。あの子は敵だって、それだけ)

それだけ、というのが嘘だというのはいくらユーノでも感づけた。もう数週間も一緒にいるのだ。いつものなのははわざわざ敵を敵と宣言するようなことはしない。
別にどうもしないと返答している時点でなのはは変わってきているのだ。

(……)

一晩経って冷静になった今、なのはもそれがただの強がりであるということを自覚している。
こんなに長く一人の相手と本気で関わったことは、例えそれが敵だったとしてもここしばらくないことだった。意図的にそうしていた、という事もある。学校でもアリサとすずか以外に感情的に接することはない。そんな態度が誰にでも優しいと皆に勘違いされているだけだ。
アリサとすずかは仕方がない。気付いた時にはどうしようもなかったから開き直ったのだ。だから彼女たちは例外で、これ以上”悲しめる”相手を作るわけにはいかない。

「次で……終わらせないと」

強く冷たく何かを一途に求める綺麗な瞳。そしてそれを僅かに濁らせる悲しそうな色。
もう、気になり始めている。だから確実に完全に終わらせなければ。あの子ともう関わらないように。

「ふっ……!」

深く一歩を踏み込んだ斬撃で、美由希の訓練が終わった。



――――――――――――――――――――――――――――――



「どうだい? まだ痛む?」
「昨日よりは全然……だけど少しひりひりするかな」

白いパジャマ姿のフェイトから話を聞きながら、ベッドに半分腰掛けたアルフはゆっくりとフェイトの右手に巻いた包帯を解いていく。現れた素肌は薄皮が張っているだけでまだまだ直りかけといった感じだ。たった一晩でここまで回復するのはさすが魔法の力なのだが、完治にはあと半日は必要だろう。

「報告は夕方にしたほうがいいね。その頃には治りきってるよ」
「でも」
「今日中に報告に戻ればいいんだろう? 早く会いたいのは分かるけど、フェイトが昨日言ったじゃないか。傷を治さないと心配させるって。今日はゆっくり休もうよ」
「……うん」

フェイトは少し落ち込んだ表情でベッドから降り、パジャマから普段着に着替えてリビングに向かった。ソファに腰を下ろして、これから何をしようと思い悩む。ジュエルシードを探しは身体がこんな状態ではできることではないし、魔法の勉強でもしようにも学書の類はもってきていない。
周りを見渡しても広々とした部屋の中には暇を潰してくれそうなものはほとんどなかった。巨大なプラズマテレビがその例外で、フェイトはなんとなくテーブルの上にあったリモコンを取り上げてボタンを押した。

『……てくださいこの美しさ! 食べるのがもったいなくらいですね〜』

やっていたのは芸人が東京で話題のスイーツを食べ歩くというありがちな企画の番組だった。
画面いっぱいにショートケーキが映し出される。食べる前の前フリとして現在のショートケーキの発祥は実は日本だった、なんていう豆知識が流される。
しかしフェイトの意識はすでにテレビにはなく別のところに移っていた。

「そうだ、お土産……」



――――――――――――――――――――――――――――――



「あの人がお土産なんてほしがるかねぇ」
「わかんないけど……こういうのは気持ちじゃないかな」

善は急げと早速行動を開始したフェイトと、彼女に引っ張られたアルフの2人は、並んで小さな通りを歩いていた。昨晩戦場にした街の中心からは少し離れている場所だだ。周りにはそれほど高いビルもなく、数km離れているはずのフェイトの仮住まいのマンションがはっきり見える。人通りもほとんどなく、夕方の散歩を楽しむ犬とその飼い主がいるくらいだった。
フェイト達もある意味では彼らと同じであったのだが、今のアルフは黒髪で低い身長で、高校生程度の平均的日本人女性に姿を変えている。魔法による変装はハリウッドの特殊メイク技術も真っ青の代物だ。元が犬であるなどは訓練をつんだ魔導師でなければ見分けが付かないだろう。

「この辺りの筈なんだけど」

フェイトが持っているのはどこにでもあるような情報誌だ。内容は主にスイーツを取り扱う女性向きの物で、ついさっきコンビニで購入した。開かれたページは『隠れた名店』というありがちなコーナーに占められており、フェイトが探しているのはそこで特集されている喫茶店兼洋菓子店だった。
お手頃な値段と雰囲気のいい店内、そしてなにより味の良さでかなりの人気を集めているとのこと。名前は『翠屋』と言うらしい。

「そんなにこだわらなくて良いんじゃないかい?」
「母さん最近カプセル剤ばっかりでろくな物食べてないし、こういう時くらい美味しい物を持っていってあげようよ。……あ、あそこじゃないかな」

写真通りの店構えを指差して、フェイトはそこに駆け寄った。喫茶翠屋、という看板もある。確かにここだ。
ドアに手をかける。チリンと鈴が鳴り、中は甘い香りで満ちていた。内装は特徴もなかったが欠点もない落ち着いたデザインだ。だが生まれてこの方時の庭園からほとんど外出しなかったフェイトにとっては、その雰囲気全体がまるで異世界のように感じられた。
興味津々なのはアルフも同じで、2人できょろきょろと店内を見回していると、カウンターの奥から声がかかった。

「いらっしゃいませ」

現れたのは『翠』というロゴの入ったエプロンを着けた女性だった。母性の塊といってもいいくらいの暖かい雰囲気に、フェイトだけではなくアルフも頬をそめて呆ける。

「ずいぶん見回してたけど、そんなに変だったかしら?」

苦笑交じりに言ってくる桃子に、フェイトは慌てて否定した。

「あ、いえあの、そうじゃないんです。私たち、こういうところに来たのは初めてだから……」
「初めて、って、そちらの方も?」

アルフも勢いよく頷いた。ケーキやクッキーならばリニスが健在だった頃に暇を見て作ってもらえたが今は彼女もおらず、喫茶店どころがこういった甘い香りをかぐのも久しぶりだ。プレシアも食料は不自由なくまかなってくれたが、お菓子などは全くと言っていいほど与えてくれなかった。
それを聞いて驚いた顔をした桃子は、

「そうなの、今時珍しいわね。じゃあ今日は喫茶店デビューね」
「……デビュー?」
「ちょっとサービスしちゃうわ。未来のお客さんはちゃんと捕まえておかないとね」

いたずらっぽい笑みを浮かべてパタパタとカウンターの奥に戻ってしまった。
2人が立ち尽くしていると「なに食べたいか選んでてね〜」と声が聞こえてきたので、互いに当惑の表情を見合わせながら桃子の言葉に従う。
ガラスケースの中には整然とケーキが並んでいた。ケーキと言う食べ物自体はミットチルダの文化にもあるが、そこにあるのは2人が見たこともないものばかりだ。単にミッドチルダのケーキに関する知識が不足しているだけかもしれないが、それでも目の前のケーキたちに異世界の匂いを感じる。
それはショートケーキであったりチョコレートケーキであったりモンブランであったりフルーツタルトであったりするのだが、フェイトからすればどれもが不思議で奇妙な食べ物だ。なのになぜか舌がうずき、栄養摂取としての食欲とは違う欲望が刺激される。

「いっぱいあるね」

ごまかすように会話を振って、いつまでたっても答えが返ってこなかったので横を見ると、アルフはガラスに顔をぶつけそうな距離でケーキたちに熱烈な視線をぶつけていた。舌を出してはぁはぁ息を荒げている姿はまるで犬そのもので、いつの間にやら耳と尻尾が服の間から飛び出している。

「アルフ、変身が……!」
「ふぇっ!? あ、ああごめんごめん」

慌てて変身魔法をかけなおすと、桃子が奥から戻りカウンターを挟んでフェイトたちと向かい合った。

「それで何がいい? さっき作り足したばかりだから何でもあるわよ?」
「えと……じゃあ、これを」

フェイトはチョコレートケーキを指した。チョコはいくらフェイトでも何度か食べる機会があったので味を知っている。いきなり未知の食材に挑戦する勇気もなかったのでまずは様子見だ。

「チョコケーキ1つね。そちらの方は?」
「……」
「アルフ、聞かれてるよ?」
「……じゃあ、これ……じゃなくて、これ……でもなくて、やっぱりこれ……でもあれも捨て難い……」

目線を右往左往させて獲物を物色するアルフはしばらく悩みこんだ後、

「これとこれとこれとこれとこれとこれ」

結局どれも捨てきれなかったようだ。



――――――――――――――――――――――――――――――



「ねえ、帰りに翠屋に寄ろうと思うんだけど」
「あ、いいわねそれ」

これだけの会話でなぜかなのはの同行も決定してしまうのは、もうどうしようもないことだと悟っている。
いつも全く違和感なく2人と一緒に行動し、時間がたった後にちょっと待てよと思うのだ。別に話を振られてもいないのに一緒に行く必要はないだろうと。しかしいつの間にか3人一緒にいることが一番心地よくなってしまったのだから、もうこの2人から離れることはできないよなぁと、嬉しいのやら悲しいのやら分からない感情に浸りつつ、なのははアリサとすずかの間に挟まれ翠屋を目指していた。

「あそこのケーキはなんか病み付きになっちゃうのよね。危ない薬でも入ってるんじゃないかしら」
「勝手に人の家族を犯罪者にしないでよ……」
「冗談よ冗談。それだけおいしいってこと。今日はなに食べよっかな〜」

嬉しそうに頭の中でメニューを選ぶアリサとは対照的に、すずかはどこか物憂げだ。

「でも甘いもの食べ過ぎると太っちゃうのが、ちょっとね」
「うっ……」

行進曲が流れんばかりに腕をふり足を上げ勇ましく歩いていたアリサは、その一言で石像のように身体の動きを止めた。

「2人ともやせてるんだからそんなこと気にしなくてもいいと思うけど……まだ小学三年生でこれから成長期なんだし」
「んぅ、それはさ、分かってはいるんだけどやっぱりね」
「気にしない、って訳にはいかないよ」

そろって腕をまくり、二の腕をつまむ2人。ぷにぷにという効果音がどこまでも似合う光景だったが、どちらも肥満からは程遠い。確かに服の下はなのはのそれと比べれば少しふっくらしているが、それは未成熟ながらにきちんと女の子である証だろう。

「じゃあ今日は行かないの?」
「「それとこれとは別」」

ねー? と顔をあわせる2人を見ながら女心の複雑さに困惑しつつ、もう翠屋が見えてきた。翠屋の稼ぎ時はちょうど今頃からなのだが、少しだけ早くつけたようだ。これなら待ち時間もなく買えるだろう。
アリサが先頭に立ってドアを開け、元気な挨拶を店内に響かせる。

「こんにちわー!」
「こんにちわ」
「いらっしゃいま……あら、アリサちゃんにすずかちゃん」
「なのはもいますよ」
「ただいま、お母さん」
「お帰りなさい。それで注文は?」

アリサはしばし逡巡してショートケーキとアイスレモンティーを、すずかはチョコレートロールケーキとホットの紅茶を、なのははショートケーキとブラックコーヒーを注文した。

「ブラックコーヒーって……ケーキにあうの?」

アリサは眉をひそめて言った。以前どんな味か興味があってコーヒーを飲んだことがあったが、あまりの苦さに飴玉を口の放り込んだ、まさに苦い思い出がある。アリサの論理からいけばコーヒーなんかを飲んではケーキの甘さが打ち消されておいしくないはずだった。

「合うと思うけどな。苦いものを飲んだ後に甘いものを食べるともっと甘く感じられるっていうか」
「わかんないわねぇ」
「ふふふ、アリサちゃんももう少し大人になったら分かるわよ。そうだなのは、私はこれから飲み物を作ってくるから、あれを奥のテーブルのお客さまに運んでくれないかしら?」

桃子がいうあれとは、カウンターの上に置かれたケーキ満載のトレイのことだった。注文したのはよほどのケーキ好き兼大食漢なのだろう。見ているだけで口の中が甘ったるくなりそうな量だ。思わずアリサが「うっわ、すご……」と絶句したのも頷ける。

「ほかに誰もいないから分かると思うけど、金髪の外国人の子と日本人の女の子2人よ。よろしくね」
「うん」

桃子にかわりウェイターを務めることになったなのはは、どっしりとしたトレイを持ち上げ窓際に座っている2人の客へ運んでいく。
片方の女の子は確かに金髪だった。アリサとはまた違う綺麗さの髪になんとなく既視感を感じながら声をかける。

「お客様、ご注文の品お持ちいたしました」

窓の外に視線を向けていた少女は振り向いて、

「あ、ありがとうございま……」

目の当たりにしたその顔は、フェイトと名乗った少女のものだった。

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