「フェイト? ケーキ来てるよ、早く食べよ……う……」

トレーを持ったまま固まっているなのはを見ると、アルフは顔を歪めて犬歯をむき出しにした。

「あんたっ……!」
「なんで、ここに……」

フェイトは信じられないという顔をして呟いたが、それはなのはのセリフだった。ここにいるはずがないのはフェイト達だ。
レイジングハートを掴もうとポケットの中に手を伸ばしかけたが、ここで戦うわけには行かないと思いとどまる。

(フェイト、早く攻撃しないと!)
(まって、ここで戦ったらさっきの人を巻き込んじゃう)

優しく接してくれた桃子の店を壊すのは忍びなかった。幸いなのはも間髪おかず全力射撃を叩き込んでくることもなかったので、奇妙な膠着状態が生まれる。

「何が、目的」

感情を無理に押し殺したような声。

「え?」
「何が目的でこんな所にきたの」
「何が目的って、それは……」

お土産にケーキを買いに、なんて言っても信じられないだろうとフェイトは思ったし、それは正解だった。なのはの頭の中に渦巻いているのはそれはもう外道な陰謀だ。
人質を取って脅しは当然として今までの恨みを晴らさんと(とーきーをーこえきざまれたー)して(これがわたしのぜんりょくぜんかい!)の後に(あくまでいいよ)とかするつもりなんだろう。思わずノイズが走っちゃうくらいに酷いことを。
手をきつく握りしめひたすらにきつく睨み付ける。フェイトがどんな行動をしても見逃さないように気を張りつめる。
しかし攻撃は背後からだった。脳天にゴツッと衝撃が伝わり、目の前でひよこと火花がパーティーを始める。無意識に涙がにじむ。

「っ〜〜!!」
「怖い顔しちゃだめっていつも言ってるでしょ。せっかく可愛い顔してるのに」
「お母さん、痛いよぉ……」
「じゃあちゃんと言うこと聞きなさい。それにこの子と知り合いなら先に教えてよ、もう」
「知り合いって訳じゃ……」

この時のフェイトの顔は唖然と言うほかなかった。アルフも全く同じく、混乱を通り越して目の前で繰り広げられるホームドラマを認識することすら出来なかった。
あのなのはの頭に拳骨を振り下ろす桃子も、涙目になって可愛らしく抗議するなのはも、どちらもあまりに異様すぎる。尋常ではない。

「なのは、いつまで時間かかってるのよ。もうケーキきたじゃな……あれ、あんたどっかで?」

いくら待っても戻ってこないなのはにしびれを切らしたアリサがある種異様な空間となっていた窓際のスペースにやってくると、状況は更に混迷を極める。
フェイトの容姿を思い出そうと頭を捻ると旅館での出来事がすぐにピックアップされた。それほど衝撃的だったのだ。グランドキャニオンのように深く記憶に刻まれていた情報は次の通り。

何かなのはと仲よさげな可愛い女の子。

仲よさげどころが宿敵と言っていいほど激しく敵対していたり、かと思えばお互いの唇に銀の橋を渡らせるくらい深い仲であるのだが、どちらもアリサにばれてはならないことだ。特に後者はばれた時のことを考えるとフェンリルがロンギヌスでラグナロクである。

「そうよ、あんた私と旅館で「あははははアリサちゃん何かの見間違いだよ、ほら、私もすぐに行くからすずかちゃんと待っててよ」

詰め寄りにかかるアリサの背中を押して無理矢理フェイトと離そうと試みたなのはだが、その努力は脆くも母の何気ない提案によって完膚無きまでに粉砕された。

「なんだ、みんな知り合いなの? だったらみんなでお茶すればいいじゃない」

なのはは力無くうなだれ、フェイトとアルフは話の流れに全くついていけないまますずかの待つテーブルに移動させられた。



――――――――――――――――――――――――――――――



「それで、」

レモンティーでこくりと一口喉を潤したアリサが話を切りだす。

「あなた、名前は?」

その口調はさながら琵琶湖の如く穏やかで、いかにも私は冷静です的な印象を持たせる。実のところ心の天気がかなりの荒れ模様だと気付けるのは付き合いが長いなのはやすずかぐらいな物だろう。
名を訊ねられたフェイトは「えと、あの」と言葉に詰まって隣に座るアルフに助けを求めたが、彼女はなのはへの敵対心をむき出しにしてじーっと視線を送っていたので、救難信号が受け取られることはなかった。

「ああごめん、名前を聞く時はこっちから名乗らないとね。私はアリサ・バニングス、小学三年生をやってるわ。こっちが……」
「月村すずかです。よろしくね」

ニッコリと微笑みながら湯気の立つ紅茶を音もたてずに口にする動作は筋金入りのお嬢様にしか見えない。それほど厳しいしつけを受けたわけでもないと本人が言っているので、これは生来の物なのだろう。上品を取り繕うアリサが琵琶湖ならばすずかの穏やかさっぷりはウユニ塩湖に匹敵する。あまりに穏やかすぎて内心どう思っているかが全く分からないので、さっきから色々な意味で神経を張りつめっぱなしのなのはにすればやたらに怖い。
完璧な微笑の不気味さを初見ながらに肌で感じ取ったようで、フェイトも少し怯え気味に自分の名前を口にした。

「フェイト……フェイト・テスタロッサって言います」

名前を名乗るとフェイトにとって嫌な記憶がフラッシュバックする。反射的にのど元を手で覆ってしまった。そしてちらと横目でなのはを見る。今は日本人形態を取っている使い魔と火花を散らしているその人物は、運命という意味を持つ自分の名を「いい名前だと思うよ」と褒めた。名前を褒めて貰ったのは初めてで、その名前を付けてくれた母も一緒に褒めてくれているようで、とても嬉しかったのは鮮明に覚えている。全てが演技だと嘲笑された時の衝撃が前後の記憶を捕らえているだけかもしれないが。
その時なのはと視線が交錯した。警戒と敵意と必死さが伝わってくる。

「っ!」

びきっとアリサの額に十字が浮かび、目元がひくひく動いた。
あんたらなに親しげに見つめ合ってんのよ。怒鳴り上げそうになったアリサの横でゆっくりとすずかが笑いかけた。

「イタリアの方ですか?」
「そ、そんなかんじです」
「そうですか。随分と日本語がお上手なんですね」

穏やかに話し合うすずかを見てアリサも心を落ち着ける。

(そうだ、そんなに焦る必要はない。まずはゆっくり話し合ってからなのはとの関係を聞き出さないとね。さすがすずかは落ち着いてるわ)
「それで……」

また無音で紅茶に口を付けてすずかは花のような笑顔を咲かせた。

「なのはちゃんとはどういう関係なんですか」

普通に直球だった。
アルフと睨み合っていたなのははいつの間にか話が進んでいることに焦った。戸惑っているフェイトが変なことを言わないうちに念話で思考に割り込む。

(ただの知り合い答えて!)
(え?)
(た・だ・の・知・り・合・い!)
「た、ただの知り合いです」

なのはの言うことを聞く義理などどこにもないのだが、鬼気迫る様子のなのはに思わず口が動いてしまう。

「そうですか」
「そ、そうだよ、ただの知り合いだよ」

うんうんと無駄に激しくなのはが同意する。アリサが怪しく思って本当かどうか訊ねてみても「知り合いだってば」としか答えが帰ってこない。フェイトも否定する様子がないし、当事者二人が言うなら信じるほかない、が。

「知り合いなんてもんじゃないだろ」
「!?」

なのはにとって致命的とも言える発言をしたのは、仕返しだと言わんばかりに意地の悪く笑っているアルフだった。なぜ知り合いなんて名乗らせたかは知らないが、なのはの思い通りなることは気に入らない。
単純だったがアルフにとっては十分な理由だ。そしてなのはを困らせたいというアルフの願いはこれ以上ないほど即刻に、かつ全力で叶えられた。
カチャ。
すずかのカップが初めて小さな音をたてる。

「ちょっと、それってどういうこと?」

アリサが怪訝な顔で問うた。

「けっ、どうもこうもないよ。だまし討ちでフェイトを傷物にしたうえに大事な物(ジュエルシード)まで奪いやがって」

街路樹に止まっていた野鳥が一斉に飛び立ち、散歩で店の前を通りかかった犬はきゃぅんとひるんだ後飼い主を引っ張って逃亡する。だんだん店内に増えてきた客はなぜかなのは達のテーブルの周囲に座ろうとはしない。感受性のいい子どもは言い知れぬ悪寒に泣き出す始末だ。まるで計測不可能な力場が発生しているようだった。

「おまけに事故とはいえキムゴォ!」
「ね、ねえねえこのケーキ美味しいよ! あなたも食べてみてよ!」

致命傷に塩を塗りつけるような言葉を吐こうとするアルフの口に無理矢理ケーキを突っ込みつつ襟を掴み額をぶつけ合うまでに引き寄せ、なのはは脳内血管が破裂するような勢いで念話を送った。

(それ以上言ったら殺すから!!)
(へん、あんたにしては珍しく焦ってるじゃないか)
(それはあなたがすずかちゃんの恐ろしさを知らないか)

シュッ……ドッ!!

二人の念話は高速飛行物体と化したフォークによって強制遮断された。シュッが空気を切り裂く音で、ドッ!!が少なくともダーツの的よりは硬いはずの壁に深々と突き刺さった音である。壁の近くに運悪く座っていた学校帰りの中学生は顔面を蒼白にして頼んだサンドイッチも食べずに翠屋を後にした。

「あ、ごめんなさい、手が滑っちゃった」

どう手が滑れば初速が銃弾並みの投擲が可能となるのかはきっと永遠の謎なのだろう。
ある意味魔法以上に物理法則を超越した現象にフェイトは目を丸くし、アルフはなのはと合わせ鏡のように居住まいを正して着席、愛想笑いを浮かべた。

(な、なにあれ? あんたの仲間!?)
(……)

答えに窮する。

「ちょっとフォーク取ってくるね」

すずかは席を立ち注目の中皇族のように優雅な会釈をして壁に垂直につき立ったフォークを掴み引き抜いた。

(フェ、フェイト、ここは撤退した方がいいよ……なんか危ないって)
(そ、そうだね)

追撃戦は最も敵に損害を与えられる戦闘である、とはなのはも承知の上であったが、この場から彼女たちが帰ってくれることには同意する。この場は邪魔する必要はない。

「わ、私達はそろそろ帰りますから……」
「あ、ちょっと!?」

アルフが今更な丁寧言葉で断りをいれ、フェイトの手を引っ張って席を立たせる。止めに入るアリサを無理やり作った笑顔で受け流し出口に向かって歩き出す。しかしフェイトは何かを思い出したように立ち止まり、方向転換してカウンターにいる桃子の下に駆け寄った。

「あの、私たちもう帰るんですけど」
「あらそう? ゆっくりしていけばいいのに」
「うちに帰らないといけないので、すみません……それであの、お土産を買いたいんですけど」
「うちのケーキ気に入ってくれた? いいわよ、どれでも好きなのを選んで」

と言われても、フェイトはケーキの味など分からない。どれもおいしそうではあるのだが、甘めのものは母は好まないだろう。あまり悩んでいる暇もないのであせったフェイトは判断を桃子に任せることにした。

「あんまり甘くなくて大人の人が好きそうなものってありますか?」
「大人の人が好きそうな……チーズケーキとかチョコレートケーキのビターとか?」
「じゃあそれ全部、1つずつお願いします。それと甘いのも幾つか」
「はい、分かりました」

桃子はガラスケースの中から慣れた手つきでケーキをとると一番大きなタイプの箱の中に入れていく。

「こんな所かしらね。えーと全部で……」

桃子が会計を始める前にフェイトは財布を取りだした。黒い皮製のスタンダードなタイプで、50口径のマグナム弾でも貫通できなさそうなほど分厚く札束が押し込まれている。フェイトが活動資金として使用を許可されたのは膨大な額の上るプレシアの資産のほんの一部に過ぎないのだが、それでもこの世界で一生遊んでいけるだけの額だった。
フェイトはその中から適当に5枚の札を引き抜く。全てが日本国の最高貨幣である。

「お釣りはいりません。それじゃあ、ケーキ美味しかったです。いこう、アルフ」
「うん」
「ああちょっと待って、このお金多すぎ……」

置かれたお金を手に取り、一万円で余裕に間に合う品物に五万円も払われたことに驚いた桃子が声を掛けた時には、もう二人はドアをくぐっていた。お金を持って外まで追いかけた桃子だが、もうそこには二人の影の形もない。

「あんなにお金を……どっかのお嬢様なの?」

傍観していたアリサが自分とは格違いの散財ぶりに目を見開いている横で、とりあえずは危機の去ったなのはは警戒を止めて大きく息を吐いた。
全く口を付けていなかったショートケーキをケーキで切り分け口に運び、柔らかな甘さを堪能してからコーヒーを飲む。白と黒とのコントラストが口の中で混ざり合い疲れ切った精神をいやしてくれる。
それから考える。フェイト達がなぜこの場にいたのか。弱点につけ込むつもりなら帰ってしまうことは説明が付かないし、遭遇した時にあんな驚き方はしないはずだ。

「なのはちゃん?」

いや、そんなことは今は後回しだ。あちら側に翠屋の存在が知られた以上何らかのアクションをかけてくることは必死、その前に対処方法を考えて、

「なのはちゃん」

それともこちらから仕掛けるべきだろうか。本拠地がどこにあるかは分からないが翠屋に来たということはそれほど離れた場所ではない可能性が高い。広域探索魔法を使って探知することはできないだろうか?

「なのはちゃん、聞いてる?」
「……」
「……」
「……」
「……はっ!」

ダンッ!

「きゃっ!」
「やっと聞こえた?」

もの凄い音がしたかと思うと、いつの間にか戻ってきたすずかが笑顔でなのはに語りかけていた。恐る恐る手元に視線を移すと、人差し指と中指の間に又の部分まで突き刺さったフォークがつき立っている。

「じゃあ質問タイムだね。あのフェイトって子、なに?」
「す、すずかちゃん、顔が近いよ」

眼前10cmまで迫ってくるすずかの顔に恐れをなしなのはは椅子ごと身体を下がらせようとするが、僅かも動かない内に何かに突っかかってしまう。
見ると、すずか以上にドアップのアリサの顔。こちらは素直に自分の感情を顕わにしていて、眉はひそめられ唇はつんと上を向いていた。

「『フェイトを傷物にしたうえに大事な物まで奪いやがって』とか言ってたわよね。あんたナニしたの?」
「べ、別になにも」

ダンッ!

「ひっ!?」

フォークは中指と薬指の間に。

「あ、ごめんね、なんか無性にフォークを突き立てたくなって」
「も、もの凄く限定した衝動だね……」
「ところで質問の答えは?」
「だからなにも……」

ダンッダンッ!

「……」
「あはは、正直に答えて貰えないと、私悲しくて次は手元が狂っちゃいそうだよ」
「お、お母さぁん!」

渡された五万円を返せないまま店内に戻ってきた桃子に、なのはは最後の希望を賭けて助けを求めた。
すずかとアリサに挟まれて涙目になり助けを求める息子を見て、桃子は「フェイトちゃん達といい」と前置きしたあと

「モテモテねえ」
「……」

神は死んだ。
その後翠屋には局地的な魔界が発生し、そのやたら禍々しい雰囲気に怖じ気づいた客がかなりの数に上り、売上げが少しだけ減ってしまったのはまた別の話である。



――――――――――――――――――――――――――――――



「お土産はこれでよし、と……」
「それにしてもなんだったんだろうね、あれ」
「……わからない」

マンションの屋上で二人は帰還準備を進めていた。準備と言っても魔法陣などは最初から完成しているので、次元接続が安定するのを待っているだけなのだが。
日はもう沈みかけ、空の色は夕方から夜に変わっている。間の境界線は淡い紫色で、あれが地平の彼方まで移動した時にはもう夜なのだろう。
自然の色彩に目を細めながら、あの喫茶店で起きた出来事に考えを巡らせる。

「どうして攻撃してこなかったんだろう」
「そうだね。アイツなら目があった瞬間に砲撃打ち込んでくるかと思ったけど……」
「あの子たちを巻き込みたくなかったのかな?」

思い浮かぶのは二人の少女と優しそうな翠屋の店長さん。なのはは前者をアリサちゃん、すずかちゃん、後者のことをお母さん、と呼んでいた。
フェイトの考えにアルフが異論を唱える。

「友達と母親だよね、多分……でもアイツだったらそんなの気にしない気がするんだけどな」
「そうかな……」
「巻き込みたくないんじゃなくて周りに騒がれるのが嫌だったんじゃないの? あんなところで戦ったら警察が出てくるだろうし」

日本という国の警察機構はこの世界の中でもトップクラスの治安維持能力を持っている、と事前に入手した資料には書いてあった。目を付けられればジュエルシードの収集にも若干支障が出るだろう。
それを嫌がって手を出してこなかった、とも考えられないこともない。

「とにかく一回時の庭園に帰ろう。それ以上遅くなるとあの人も文句言うかもしれないしさ」
「うん」

もう次元接続は安定し、魔法陣が淡く光って準備が完了したことを示している。フェイトは目を瞑り口答で呪文を述べていく。座標の指定は十六進数で行われており理解にはかなり高い数学能力が必要だが、フェイトが受けてきた教育はそれを余裕で可能としていた。

「次元転移。次元座標、876C 4419 3312 D699 3583 A1460 779 F1325……開け誘いの扉。時の庭園、テスタロッサの主の元へ」

そして魔法陣から発せられた光が二人の身体を包み込み、その存在は瞬間、世界から消え去った。

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