「う……ぐ……」
「あ、もう目が覚めた? 凄いな、まだ十分も経ってないのに」

聞き慣れない声とオレンジ色の光がクロノの感覚を刺激した。夕焼けの沈む海。壮麗な光景を眺めているうちにぼやけた意識が収束してくるが、それは後頭部の痛みをも呼び起こした。柔らかい何かの上に頭をのせているらしく、それである程度痛みは和らいでいたが。
まず周囲を見回すため上半身を持ち上げようとすると、腕に力が入らなかった。全身を酷い脱力感が包んでいる。

「いっ……つぅ……」
「大分血が流れたからね、あんまり無茶しないほうがいいよ」
「ん、ああ……」

可愛い女の子の顔が自分を見下ろしていた。この娘は誰だろう、という当然の疑問がクロノの頭の中をよぎる。

「といってもあんまり長く寝てられると足が痺れてくるから起きてくれると嬉しいんだけどね。それともこのままがいい?」
「足? ……ってうわっ!!」

頭の下敷きになっているのは柔らかな太股、俗に言う膝枕というやつだったが、彼には少々刺激的すぎた。血液が体中の毛細血管に満ち渡りただでさえ足りない血が更に足りなくなる。
なるべく早く起きあがろうとしたが意識は昏倒寸前まで逆戻りしてしまう。結局顔を真っ赤にしたまま、落ち着くまでたっぷり膝枕を堪能することになってしまった。

「……す、すまない」
「別に。気にしてないよ」

起きあがって気付いたが、クロノが横になっていたのはベンチの上だった。まぁ、ベンチが傍にあるのに歩道の上に寝かせる理由もないだろう。足りない血液を魔力で補助しながら、おぼつかない足取りで立ち上がる。

「そうだ、任務を遂行しないと……ロストロギアと魔導師はどこに」
「私と戦ってた子がその魔導師だったらもう逃げちゃったよ。ジュエルシードもその子が持っていっちゃった」
「……そうか」

任務の最中に意識を失ったのだ、命があるだけでも感謝しようとクロノは自分に言い聞かせた。
そのとき二人の目の前に映像が映し出された。突如現れたモニターになのはは驚いたが、クロノはそのモニターに映った女性に報告を始めた。

『クロノ、大丈夫だった!?』
「いえ、あまり……生きてはいますが」
『転移した瞬間に気絶しちゃうし、もう心配したんだから。任務はどうなったの?』
「すみません、ジュエルシードは片方の魔導師に持ち去られてしまいました」
『そう……今回は転送した位置が悪かったわ。今後同じ失敗は犯さないようにしましょう。でね、ちょっと話を聞きたいからそっちの子達もアースラに案内してくれるかしら?』
「達?」

一人しかいなかったはずだがとクロノがなのはに視線を向けると、ベンチにはもう一匹小さなフェレットが座っていた。乗っかっていると表現するべきかもしれないが大した問題ではない。

「了解です。すぐに戻ります……という訳なんだけど、ちょっと同行して貰えるかな?」

モニターが消え、クロノは振り向きながら言った。
なのははすぐに頷く。クロノと名乗った少年は時空管理局という聞いたこともない組織に属しているらしいが、クロノが気絶している間にユーノがある程度説明をしてくれた。規模は全く違うが、簡単に言えば多次元世界の警察であるらしい。つまりは公的機関というわけだ。
長い物には巻かれろという心情を持っているわけではないが、いみもなくそんな組織に喧嘩を売る必要はないだろう。幸いクロノは自分が殴られたことを覚えてはいないようだし、上手く取り入ることが出来ればジュエルシードの問題もつつがなく片付くかもしれない。
なのはは思惑と打算無しには行動しない人間だった。



――――――――――――――――――――――――――――――



(ここは……)
(時空管理局の次元航行船の中だね。簡単に言うといくつもある次元世界を自由に移動する、そのための船)
(多次元世界解釈なんて机上の空論だと思ってたけど……こうやって改めて色々見ると何とも言えないなぁ)

転移魔法に身を任せている内に到着したのは見たこともない内装の部屋だった。壁には巨大な魔法陣、ほの暗い照明。どこもかしこも異国、もとい異世界情緒をこれでもかと言うほど漂わせている。
世界は幾重にも重なって存在している、という学説はなのはも本で読んだことがあるが、それに関してはなのはも随分前からユーノと会話を重ねていた。
今までの話を総合すると世界”群”は次元的な解釈ではなく三次元的な格子構造として形作られているらしい。だから次元空間でも擬似的に距離が適応できるし、推進機関や船体さえ作れば航行も可能なのだと。位相空間や世界の”壁”など少し難しい話もあったが、全体的に見れば単純と言っていい世界の仕組みに、初めて聞いた時はなのはも拍子抜けした。
だがそうやって頭の中で理解したことと実物を見せつけられるのとでは、例えその実物が僅かな片鱗に過ぎないとしても感嘆するに値する。
大人数用なのか、横に大きな自動ドアが開いて味気ない通路に入った時、先行していたクロノが振り向いた。

「ああ、いつまでもその格好というのも窮屈だろう。バリアジャケットとデバイスは解除しても平気だよ」
「あ、いえ、こっちの方が落ち着くので。いけませんか?」
「いや、そのままでいいなら構わないが……君はどうする? 元の姿に戻ってもいいんじゃないかと思うが」
「そう言えばそうですね。ずっとこの姿でいたから忘れていました」
「……?」

首を傾げるなのはの横で、ユーノの周りに魔法陣が広がった。するとフェレットの輪郭は見る見る変化し人の姿を形作る。
変身を解いたユーノがゆっくりと目を開けると、ずいぶん驚いたらしいなのはの顔があった。

「どうかしたの?」
「いや……そう言えばユーノ君って人間だったっけ」
「そうだよっ……! ずいぶん前に夜の学校でぼこぼこにされて以来きっかけがなかったからあのままだったけどね」

なのはは人差し指を額に当てて首を捻った後、

「ああ、そういえばそんなこともあったね」
「そんなこともあったねじゃないでしょ! っていうかまいどまいど僕、フェイト達よりもなのはに攻撃されてるんだけど!」
「だって邪魔だし。それにユーノ君からマスコット属性とったらただでさえ少ない存在感が悲惨なことになるよ?」
「……ぼくは……ぼくはぁああああ!!」
「あ〜、ごほん……ちょっといいか。君達の事情は良く知らないが、艦長を待たせているので出来れば早めに話を聞きたいんだが」
「あ、はい」

素直に返事をしたのはなのはだけで、ユーノはその場でうずくまって肩を振るわせていた。

「……いいのか、アレ」
「いいです。どうせユーノ君だし」
「君がそう言うなら別に良いが……では、こちらへ」



――――――――――――――――――――――――――――――



「なるほど、そうですか。あのロストロギア、ジュエルシードを発掘したのはあなただったんですね」

案内された部屋は他の艦内と比べずとも、どう考えても異常なまでに和風だった。盆栽にお茶立て、ししおどしその他諸々。何故か壁だけは金属室むき出しなのが違和感を倍増させている。
そんな異空間の中に発生した異空間の中央に座す艦長……らしき女性、リンディが用意してくれていたお茶とようかんをつまみながら、なのははユーノによる経緯の説明を聞いていた。

「それで僕が回収しようと……」

一通りを聞き終わったリンディが感心しきりに言う。

「立派だわ」
「だけど同時に無謀でもある」

全くだ、となのはは心の中でクロノに同意しておいた。たしなめられたユーノは悲痛な面もちで沈黙する。
そんな様子を横目に見ながら、未知の単語に興味が湧いたなのはは控えめに手を挙げた。

「あの、質問良いでしょうか」
「答えられることなら」
「ロストロギアってなんですか? 聞いている限り、ジュエルシードもその一種らしいですが」
「ああ、異質世界の遺産……っていってもわからないわね。えっと……」

リンディは人差し指をアゴに当てて天井を仰いだ。この言い分だと、ロストロギアというのはその道の人間にとって知っていて当然の単語なのだろう。
少しの間をおいて、何の予備知識もない人間向けの説明を組み立てたリンディは口を開いた。

「次元空間の中には幾つもの世界があるの。それぞれに生まれて育っていく世界。その中に、ごく稀に進化しすぎる世界がある。技術や科学、進化しすぎたそれらが自分達の世界を滅ぼしてしまって、その後に取り残された失われた世界の危険な技術の遺産」
「それらを総称してロストロギアと呼ぶ。使用法は不明だが、つかいようによっては世界どころが次元空間さえ滅ぼすほどの力すら持つことがある危険な技術」

クロノが静かに横から補足した。以前なのははジュエルシードのことを核と例えたことがあったが、それに近い概念なのだろう。人が持つには大きすぎる力。核すらもてあましている人類だ、世界ごと崩壊させるものなど分不相応極まりない。

「しかるべき手続きを持ってしかるべき場所に保管されていなければいけない品物。あなたたちが探しているロストギア、ジュエルシードは次元干渉型のエネルギー結晶体。いくつかあつめて特定の方法で起動させれば空間内に次元心を引き起こし最悪の場合次元断層さえ巻き起こす危険物。
少し前にジュエルシードが本格的な暴走状態になったことがあっただろう? あれが次元震だ」

都市での戦闘のことを言っていることはなのはもすぐに分かったが、記憶を辿ることはすぐに断念した。否応なしにあの感触、あの体温を幻覚してしまう。

「たったひとつのジュエルシードの、全威力の何万分の一の発動でもあれだけの影響があるんだ。複数個集まった時の影響は計り知れない」
「聞いたことあります。旧暦の462年、次元断層が起こったときのこと」

ユーノが口に出しただけで、クロノとリンディの表情が曇った。

「ああ、あれはひどいものだった……」
「隣接する次元世界がいくつも崩壊した、歴史に残る悲劇……繰り返しちゃいけないわ」

想像するだに恐ろしい話だった。数百万、どころではない。数十億の命があっけなく消え去ったことだろう。
どんよりとした沈黙はしばらく続き、リンディの声で破られた。

「これよりロストロギアジュエルシードの回収については時空管理局が全権を持ちます」
「えっ……?」
「君達は今回のことは忘れて、それぞれの世界に戻って元通りに暮らすといい。なにしろ次元干渉に関わる事件だ。民間人に介入して貰うレベルの話じゃない」
「でも、そんな……」

食い下がるユーノだが、特に言い分があるわけでもない。あれだけジュエルシードの深刻性を話題にした後では民間協力者の立場など無いも同然だった。
なのはにとってもこの申し出は嬉しい。危険と隣り合わせのボランティアをするほどお人好しではないのだ。なのはが協力していたのはジュエルシードの被害が自分に、そして自分の大事な物に降りかかることを防ぐため、ただそれだけ。公の組織が役目を変わってくれるならそれに越したことはないのだが……懸念事項がないわけではない。

「失礼を承知で言いますけど、あなた達にジュエルシードが確実に回収できますか?」
「……どういう意味か聞いてもいいかしら?」
「そのままです。クロノくんが実行部隊なんだと思うけど、あなたはあの子……フェイトって名前なんだけど、あの子に勝てるのか、ジュエルシードを確実に収集できるか」
「……僕の実力に不安がある、と?」

クロノは冷静を装っているようだったが、なのはには苛立つ心の内を容易に見て取ることが出来た。

「別にそういう訳じゃありません。要は、戦力は多いに越したことはないんじゃないかな、って言ってるんです」
「な、なのは?」

ユーノは弾かれるように視線を横に向けた。あるのは、至極真剣ななのはの横顔だ。
恐らくなのはが何を言わんとしているかは分かっていても、リンディが確認のために真意を問い直す。

「協力してくれる、ということかしら」
「そう受け取って貰って構いません」
「……理由を聞かせてくれる?」
「ここであなた方に任せて何も知らないまま世界が滅亡しました、なんて事になったら悔やんでも悔やみきれませんから。やれることはやっておきたいんです。戦闘能力には自信があります、足は引っ張りません」

偽らざる本心だった。もしここで断られても問題が解決するまでは独自に動くつもりである。が、やはり後ろ盾は合った方がいい。さっきも言ったとおり戦力が多いに越したことはないのだ。もっとも世界なんて大した興味はなく重要なのは大事な者だけだったが、どちらかを切り離して守ることなど出来ない。
リンディはそうね、と前置きして、

「……いいわ、やって貰いましょう」
「母さん!?」
「さっきの映像を見る限り実力は相当な物だし、ダメだと言っても一人で行動しそうだしね」
「ええ、まぁ」

その気持ちを隠すつもりはない。隠そうとして隠しきれる物ではないし、どうせならば説得に利用した方が正解だ。

「そのかわり条件が二つあるわ。両名とも身柄を時空管理局の預かりとすること。それから指示を必ず守ること」
「……ちょっと漫然としてますね。細かい事項を記載した契約書みたいなものはありませんか?」
「べ、別にそんな物々しい物じゃないわ。少しの間この艦に乗ることと、あと一人で勝手なことはしないで、というだけよ」
「口約束でいい、ということですか?」
「ええ」

なのはは少し拍子抜けした風にそうですか、と漏らす。

「分かりました。約束します」
「じゃあ、今日の所はお家に帰ってゆっくりして。それからのことは明日の昼にでも改めて連絡するわ」
「送っていこう。元の場所で良いね」
「ありがと。行こう、ユーノ君」
「あ、うん」

畳の上に横たえていたレイジングハートを取り、部屋を後にする。手を振って見送るリンディに笑顔付きで手を振り返し、先導するクロノについてもと来た道を戻る。
なかなか悪くない条件で後ろ盾を手に入れることが出来たことは良いとして、今後フェイトをどう扱うか考えを巡らせる。
今回で全て終わらせるつもりだったが、思わぬ邪魔が入ってそれは達成されなかった。ダメージも少なくないだろうが今までの経験から言えば特にハンデとすることもなく戦場に出てくるだろう。
あるいは時空管理局という存在を危険視して目立った行動を取らなくなるか。フェイトは情に脆いが理に聡い。少なくとも正面切っての戦闘は避けようとするはずだ。
しかし最終的な目的がジュエルシードの収集な以上、いつかは確実に、再びデバイスをぶつかり合わせることになる。そして勝つ。ここまではいい。果たすべき目標だ。
そしてその後は。
その後は?

「あの子、どうなるかな」

気にならない、というのは嘘だった。


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