なのはたちが帰ってきた頃には太陽は地平線に沈み、夕暮れは夜空に華麗な変身を遂げていた。わずかに残っていた明かりも公園からの帰途で限りなく薄れ、街灯が唯一アスファルトの道路を照らす。
その道路の上を決して大きくない歩幅でてくてく、おおよそ四分の一時間かけて家の前にたどり着く。

「すっかり暗くなっちゃったな。まぁ、楽しかったからいいけど」
(次元空間も相対的には時間の流れが変わらないからね)

取り出した携帯電話には7時21分の表示がされていた。これならば晩ご飯にも間に合っているだろうし、母の逆鱗に触れることもない。多少は注意されるだろうが、豹変が始まるのは9時がラインだ。そうなれば、まぁ異文明を見れて楽しかったからいい、なんてコメントする余裕はない。数分後の審判の恐怖に身を強張らせ、それ以外のことは一切考えられなくなるだろう。――訂正。考えられなくなる。断定するのは経験したことがあるからだ。
もちろんそれを見越してゆっくり帰ってきたのであって、携帯を見たのは確認のためである。

「ただいま」

玄関のドアを開けると、そこにはかがんで靴を履く美由希がいた。

「あ、おかえりなのは。どこ行ってたの?」
「ちょっと街でパソコンのパーツを見てきて……お姉ちゃんはこれから?」
「どこか行くって訳じゃないけどね、ちょっと恭ちゃん達と修行に。さっき出て行ったけど見なかった?」
「見てないかな。行き違いになったんだと思う」
「そっか。どうする? なのはも一緒に来る?」

毎回と言うわけではないが、なのはも夜の鍛錬にはそれなりの頻度で顔を出している。誘われれば断ることなど稀だ。だが今日は流石に疲れていて、これ以上変に動き回りたくない。

「あ、そっか。今日はダメだね。せっかく来てるんだし」

適当な言い訳をして断ろうとしたところ、先に美由希が納得してしまった。

「え?」

意味深なことを言って外に出ていった美由希の背中は暗闇の中にとけ込んですぐに見えなくなった。
せっかく来てるんだし、というのは誰かお客さんかな? そう思って玄関に並んだ靴を見てみると、確かに見慣れない靴が二組、行儀よく並べられていた。いや、見慣れないと言うには語弊があるか。両方家族のものではないが見覚えはある。

「確かこれって、アリサちゃんとすずかちゃん……の……」

自分の口から無意識に出てきた言葉になのはは言いようのない戦慄を覚え、靴のかかとが摩擦熱で煙を上げるほどの速度で回れ右をしてドアノブに手をかけた。そうそうこういう疲れているときだからこそ鍛錬っていうのは効果が出るんだよね。
誰に求められたでもないのに内心で言い訳をつぶやく。
しかしなのはの「ただいま」はリビングで談笑していた二人の耳にも届いていたのだ。

「あ、なのは。遅かったじゃない。お邪魔してるわよ」
「おかえり〜、なのはちゃん」

二度目のただいまは舌が上手く回らなかった。

「どこに行ってたの?」
「ちょ、ちょっとパソコンのパーツを」
「ふ〜ん。あんたも好きね」

アリサが切り出した質問は美由希に向けたものと同じ答えでなんとかなった。アリサ達が他に問いつめておくべき話題を既に持っていて、執着しなかったというのが原因としては大きい。

「ねえなのはちゃん、私聞きたいことがあるんだけど、あのフェイトちゃんって……」

そして続く質問は当然のこと、なのはがのらりくらりとかわして先送りにしていたフェイトとの関係について、だ。
なのはは勝ち目のない戦闘はしない主義、最終的な勝利のためにはプライドを捨てた撤退だろうとなんだろうとこなすつもりなのだが、この場合撤退先がない本土決戦だ。この場で選択できるのは玉砕覚悟の抵抗か降伏か。どちらもその後の見通しが暗いことを考えると大した違いはない。
だが希望もあった。もう夜も更けてきておりアリサ達も帰宅しなければならないはずなのだ。なのははそこに一縷の望みを掛ける。

「も、もう外随分暗いよ? そろそろ帰らないと危ないんじゃないかな」

(そんなに早く帰って欲しいのかという拗ねイベント挿入)

「ああ大丈夫よ。今日はなのはの家に泊めてもらうことになったから」

なんですと。
キッチン台でハンバーグ生地をこねていた桃子は一度手を止めて振り向くと、お泊まり会なんて久しぶりねなんてことを言っていたが、なのはの耳にはほとんど入ってこない。

「お泊、まり?」
「この前一緒に旅館に行ったけど、なのはちゃんの家に泊まるのは半年ぶりくらいかな」

できればあと半年くらい記録を継続して頂きたかったが後の祭りだ。
よくよく見ればリビングには遊びに来たにしてはやたらに大きいバックが二つ。中には着替えようの服とかが満載なのだろう。素晴らしく用意周到だ。

「なによ。そんなに私たちに早く帰って欲しいわけ?」

雪崩れ込んでくる情報に思考停止しているなのはに、上目使いのアリサが追撃をかける。その威力足るや破滅的で色恋沙汰にとことん弱いなのはでも赤面を隠しきれなかった。後ずさりしようにも背後は流れるような脚捌きで移動したすずかが固めていた。

「そんなことないよね」
「……は、は、は」

戦況は絶望的である。



――――――――――――――――――――――――――――――



『ファイア』

目が回るような序盤の肉弾戦を経て、戦闘は遠距離戦に移行しつつある。
聞き取るのが難しいほど小さな声の後、丸太のような砲撃魔法が空を裂く。Bクラス魔導師ならば一撃、Aクラスでも防ぐのがやっとという凶悪な威力のそれを、白い魔導師の少女はこともなげに一秒程度の間隔で乱射していた。対する黒い魔導師の少女は、二つに結んだ金髪を翻らせて紙一重で、時には使い魔の助けを借りながら砲撃を避け続け、そればかりが隙を突いて接近し鎌状のデバイスで近接攻撃を加えていた。白い魔導師が展開する防御結界を抜くことはできなかったが、それは結界の硬度が異常なのであって、数値に換算すればAAの威力はあるだろう。

「すごいや……どっちもAAAかそれ以上の魔導師だよ」
「ああ……」

アースラのオペレーター、エイミィとクロノはそろって感嘆のため息を漏らした。AAAの魔導師となるとその数は非常に限られていて、時空管理局や軍でも超が付くエリート扱いとなる。まして2人の年齢はどう贔屓目に見ても十に届くか否か、今後ありとあらゆる面で大きい成長が見込まれるのだ。これほどの逸材は多元世界を探してもそうそういないだろう。

「それにこっちの白い服の子は……えっと、名前なんだけっけ、さっき艦長に聞いたんだけど……」
「高町なのは、だそうだ」
「そうそう、なのはちゃん! この子なんかクロノくんの好みっぽい可愛い子だし。名前も覚えてるなんて結構脈あり?」
「じょ、冗談は……! ……冗談はよせ。とても恋愛対象としては見れないよ、あれは」
「そうかな? いい感じの子だとおもうんだけど」

膝枕のことを思い出して少し赤くなった頬は、艦長室での態度で塗りつぶしてしまえた。表面上は笑みを浮かべていても心の中では何を考えているか分からない不気味さ。あれを見てしまっては恋愛対象としてはおろか、温かみのある人間としてみることも難しくなってしまう。
この場で言ってもどうせ信じてもらえないだろうが、そういった印象を与えることもまた恐ろしかった。

「まぁ確かに、守ってあげたいって感じじゃあないよね。戦闘開始時に置ける魔力の平均値、黒い服の子の143万も凄いけど、なのはちゃんは263万で魔力だけならクロノ君の2.5倍。最大発揮値は更にその3倍以上でおまけに格闘能力も抜群」
「魔法は魔力値の大きさだけじゃない。状況にあわせた応用力と的確に使用できる判断力だろ。」

クロノはそう言いつつも、改めてみるなのはの戦闘力に自信が足元から崩れていくのを痛感していた。
圧倒的な力はそれだけで強いという単純明快な論理は、時に技術や経験を超越する。なのはの力押しが目立つ戦法には、例えば命中率の低さなどにつけ込むところを見いだせるが、実際に通用するかは戦ってみないと分からないだろう。

「それは勿論。信頼してるよ。アースラの切り札だもん、クロノくんは」

当たり前のように向けられるその信頼が胸の奥底をちくちくとつつくのだ。ばつが悪くなってモニターから顔を背け、そうして視界に入ったドアが開く。リンディだった。

「あ、艦長」
「うん? それは……ああ、あの二人のデータね。本当に凄い子達だわ」
「はい。末恐ろしいとはこういう事を言うのかもしれない」

リンディはエイミィの背もたれに手を置きモニターを見つめた。

「あの子達、なのはさんとユーノ君がジュエルシードを集めてる理由は分かったけど、この子は何でなのかしらね」
「随分と必死な様子だった……何か強い目的があるのか」
「目的、ね」リンディは弾幕をかいくぐるフェイトの映像に目を細める。
傍目にも無茶な高速機動の結果、被弾率の上昇という形で疲れの色が現れて始めていた。だがフェイトに逃亡するような様子はない。クロノも昔から執務官を志し、訓練で体中を傷だらけにしても泣き言一つ言わない子供だったが、それを見てきたリンディの目にも血を流しながらジュエルシードを求めるフェイトの必死さは異常に映る。

「まだ小さな子よね。普通に育ってればまだ母親に甘えていたい年頃でしょうに……」

オペレータールームの空気が少し重い沈黙に包まれる。例え犯罪者だとしても年端もいかない少女を相手に任務を遂行するのは気が重い。もちろん相手側にどんな事情があったとしても任務には全力で当たるのがリンディ達の義務である。が、一般的なモラルを持つ人間として抗えない感情だ。

『今のでも避けるってどういう、あぁ、あの犬もしつこく邪魔をして……!』

その点モニターの上で表情一つ変えずに砲撃し続けているなのはもかなり異常だった。

「か、可愛い顔してるのに容赦ないよね、なのはちゃんって」
「ほ、ほら、人は見かけに寄らないっていうじゃない」

リンディの苦しすぎるフォローに耳を傾けながら、頭の中にあるのは戦闘開始直後に行われた『使い魔ミサイル』である。使い魔を掴み上げて思いっ切り投擲するなのはの姿に、エイミィは最初何かの間違いだろうと好意的解釈を行っていたが、今回の戦闘を見る限り思いっ切り故意である可能性が高い。というか故意だろう、確実に。

「……協力してくれることになったら、なのはちゃんってこの船に乗るんですよね?」
「……そう、なるわね」
「……そう、なるな」

その時のオペレータールームの沈黙は、まさにヘビー級のものだったよと後にエイミィは語る。



――――――――――――――――――――――――――――――



「……ふぅ」

帰還してから電気も付けずずっと魔力の回復に務めてきたかいあって(といってもじっとしている以外ないのだが)、魔力も八割方回復してきた。これから眠って回復する分も含めれば次の戦闘には久しぶりに全力で当たれるだろう。
とはいうものの先の見通しは明るくない。敵に時空管理局までが加わり戦力差は考えるのも嫌なほどに広がっているし、これからはむしろ正面からの戦闘は避けてジュエルシード収集だけに全てをかけるべきかも知れない。
だが信頼できる使い魔は更に消極的な意見を主張していた。曰く、

「だめだよ、時空管理局まで出てきたんじゃ、もうどうにもならないよ! 逃げよう、二人でどっかにさ」

ずいぶん前からアルフは同じような事を言い続けている。フェイトも冷静に考えれば収集を止めることが一番安全だと言うことを理解していた。星の数ほどある不安に比べ、希望は何一つない。絶対の信頼をフェイトに預けているアルフも、盲目的に勝利を信じていられるほど愚かではなかった。
自分達が勝つ可能性は万に一つもない。なまじ管理局に刃向かい戦いに勝利して怪我を負わせ、ジュエルシードだけでも手に入れたとしてその後はどうなる? 犯罪者の烙印は輝かしい未来を黒く塗りつぶすにあまりあるだろう。
にもかかわらずフェイトはアルフの言葉に耳を貸そうとしなかった。

「それは……だめだよ」
「だってあの時空管理局だよ!? 本気で捜査されたら、ここだっていつまでばれずにいられるか……あのオニババ、あんたの母さんだって訳分かんないことばっか言うし、フェイトに酷いことばっかするし」
「母さんのこと……悪く言わないで」
「言うよ! だって私、フェイトのこと心配だ!」

そうだ。全てあの女が悪い。アルフの中で諸悪の根元はプレシアにあり、それは幾分の真実を帯びていた。あの女の命令さえなければなのはのような悪魔とも戦わずに済んだし、フェイトも傷付かずに済んだはずなのだ。

「フェイトが悲しんでるとあたしの胸も千切れるように痛いんだ……フェイトが泣いていると私も目と鼻の奥がツンとしてどうしようもなくなるんだ……! フェイトが泣くのも悲しむのも、私嫌なんだよ!」

だから悲しむようなことはしないでくれ、と。涙ながらに訴えるアルフにフェイトは儚げな苦笑を向ける。

「私とアルフは……少しだけど精神リンクしてるからね。ごめんね、アルフが痛いなら私、もう悲しまないし泣かないよ」

アルフは愕然とした。何もかもが間違っている。あまりに悲しすぎる言いようだった。

「あたしはフェイトに笑って幸せになって欲しいだけなんだ。何で、何で分かってくれないんだよぉ……!」
「ありがとうアルフ。けどね、私、母さんの願いを叶えてあげたいの。母さんのためだけじゃない、きっと自分のため……だからもう少し、最後までもう少しだから、私と一緒にがんばってくれる?」

フェイトはとてもいい子だと、アルフは胸を張って言える自信がある。間違っているのはフェイトがその愛情を向ける相手だ。一切の見返りがない。心のこもった言葉さえかけてもらえない。それさえあればフェイトは報われるのに。
アルフの心の中でフェイトへの哀しさとプレシアへの怒りが絡み合いながら渦巻く。フェイトが幸せをつかめるよう、いつまでも近くで添い続けたい。こんな願いすら叶わないのだろうか。
だからせめて必死で訴え続ける。きっとフェイトはプレシアを見捨てられない、そんな諦めから目をそらしながら。

「約束して。あの人の言うなりじゃなくて、フェイトはフェイトのために、自分のためだけにがんばるって。そしたら、私は必ずフェイトを守るから!」
「うん……」

もしフェイトがフェイトの為の幸せを追い求めて戦うなら、例え相手があのなのはでも守りきる。それこそがアルフのあるべき姿で、望んでいる姿だった。
けれどやはりフェイトが呪縛に囚われ続けるなら。けれどもしもあの容赦のない砲撃がフェイトを縛り付ける鎖を撃ち抜いてくれるなら。
その時は……

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